幸せとは何か

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聖書の言葉

さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。

「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」

新約聖書 ルカによる福音書 6章20~21節

家山華子によるメッセージ

私たちは、本を読んでいる時、文字を目で追っている時、スラスラと読める文章と、「これはいったいどういうことだ?」と立ち止まって考え込んでしまう文章とがあるのではないかと思います。

今日のイエス・キリストの言葉は、「それはどういうこと?」と思わず立ち止まって考えたくなるような、そんな言葉なのではないでしょうか。貧しい人、飢えている人、泣いている人に向かって、幸いである、あなたがたは幸せですと言われます。何を根拠にそのようなことを言われているのかと、目を丸めてしまいます。イエス様が語っておられる幸せとはいったいどういうことなのでしょうか。

「貧しい人々」と言われているのは、実際の生活の貧しさを覚えている人という意味があります。しかしそれだけではなく、その貧しさ、欠け、足りなさを感じていて、しかしすべては神様から与えられることを信じて神様に希望をもって祈り求める人の姿を表わしています。実際の生活の苦しさを覚えて祈り求める人に、神様は必要なものを与えて下さるのです。また、他の人を愛することがなかなかできないと弱さを悲しみ、神様にその愛を与えて下さいと祈り求める人のことを、あなたがたは幸いですと言って下さるのです。私たちは、自分の現状に、不満を覚えてしまったり、なかなか思うようにいかないことを悲しんだりします。そんな時、祈ったって何の意味があるのかと問いたくなるかもしれません。しかし、すべてを与えて下さる神様に信頼して心を明け渡して祈り続けるなら、神様は私たちの本当に必要なものを知っていて下さり、与えて下さるのです。

さらに、「今飢えている人々は幸いである」と言われます。今、食べ物に飢えて空腹の状態にある人に向かって、あなたがたは幸いですと言うとき、それを言うなら何か食べる物を与えてはどうですかという声が返って来そうです。イエス様は、人々とよく一緒に食事をし、分かち合って食べることを喜びとしておられました。ですから、空腹の人に、そのままでいなさいと言われているのではありません。しかし、食べ物を分かち合い、お腹がいっぱいになることが、必ずしも私たちを満たしてくれるとは限らないのです。今の、そしてこの日本に住んでいるわたしたちは、お腹いっぱい食べたいと思えば、そのことが可能な状況にあります。しかし、私たちの心は何か飢え乾いているということがないでしょうか。この飢え乾きはどこから来るのでしょう。私たちには、自分でも何に飢え乾いているのかが分からないことがあります。それを満たそうと、美味しいものを食べてみたり、買い物をしてみたり、また他の人からの愛を求めてみたり、人から認めてもらうために、必死に努力してみたりします。しかし、心のどこかにぽっかりと穴があいているのです。この穴は、私たちの身の回りのもので満たされる穴ではないことに、やがて気がつきます。なぜならそれは、人間を越えたお方にしか満たせない穴だと、イエス様は言われているのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)と招いて下さるイエス様は、私たちの傷や孤独を受け止め、慰め、癒して下さるお方なのです。この方のもとに、私たちの存在のすべてを委ねることができることは、幸せなことです。

そして最後に、「今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる。」と言われます。泣くことと笑うことは、正反対です。実際に嘆き悲しんでいる人を目の前にして、「笑ってください」と言うことなどできません。イエス様はそんな無理な注文をしておられるのではありません。ここでは、イエス様は泣いている人に注目をしておられるのです。深い悲しみに嘆き悲しんでいる人に、その悲しみは、決して悲しみで終わることはないと言われているのです。深い悲しみの中にある時には、暗闇しか見えません。しかし、嘆き悲しむ私たちに、イエス・キリストが、いつかその涙がぬぐいさられる時が来ると約束して下さいます。その時は、地平線の彼方から太陽が昇るのを見るように、向こう側からやってくるのです。イエス様が示して下さる幸せとは、私たちの考えをはるかに超えたところから与えられるものです。それは、十字架の死という苦しみを経験され、恐ろしい死の力に勝利されたイエス様だからこそ、示すことができる希望なのです。どんな深い悲しみの涙の中にあっても、一筋の希望を信じ続けることができるのです。

わたしたちを創られ、本当に必要なものを知っていて下さる神様は、このイエス様を私たちに与えて下さいました。この神様は、必ず私たちに必要なものを与えて下さると信じて、私たちの全ての求めを打ち明けて祈り求めるとき、私たちはすでに幸せと言えるのではないでしょうか。そして、聖書の言葉によって語られている希望の光をいつも見せてくださいと願いながら歩む時、私たちがどんなに暗闇の中を歩むとしても、守られるのです。私たちがこの幸せを味わい知ることを、求め続けることができますようにと祈り願います。

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