信じて歩み出す一歩

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聖書の言葉

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」

旧約聖書 創世記 12章1~2節

家山華子によるメッセージ

4月に入りました。人生の新しいスタートを切る人が多いこの月、何か期待と不安の入り混じったような気持ちで過ごされている方も多いかもしれません。

今日の聖書のお話にも、旅立ちという新しいスタートを切った人が出てきます。しかし、普通の旅立ちの物語とは少し違います。アブラムは、「父の家を離れた」とありますが、自立の年齢に達したなど、時期的なことが理由で家を離れるというのではありません。また、仕事や勉強の場所が遠いところにあるからというはっきりとした目的で家を離れるというのでもありません。

ここでは、神様が語られた。ただそれだけが理由で、アブラムは生まれ故郷、父の家を離れました。安心して暮らせるところ、自分をよく知っていてくれる場所、慣れ親しんだ場所に居続けることができれば、安心ですし、いつも同じことの繰り返しだったら、楽だなと思います。知らない場所や、自分を受け入れてくれるか分からない所、また、これから先どうなるか分からないことというのは、少なからず私たちを不安にさせます。しかし、アブラムの心の準備が整うまで待つということは、ここでは考えられていません。神様が「行きなさい」と言われると、アブラムは旅立ちました。

それは、「行きなさい」と語られた神様が、アブラムを創られたお方であり、世界のすべてを知っていて下さるお方だからです。そして、この神様は、ただ「行け」と命令されるだけではなく、その先も共に歩んで下さり、守って下さり、御言葉によって道を示し続けて下さるお方なのです。神様への信仰をもつということは、自分の為になるからとか、何か具体的な良いことがあるということではありません。しかし、この神様が共に歩んで下さる人生を、一歩一歩いつも新しく歩み続けるのが、信仰の歩みなのです。

もちろん、アブラムはこの時、神様から命令されて、ロボットのように動かされたのではありません。しかし、周りの誰の意見に従うでもなく、独立した人格として、ただ神様と向き合い、神様の声を聴いて、自分で決断したのです。このことは、ある意味では、自立した歩みとも言えるかもしれません。ここで他の誰とも違う自分らしい歩みが与えられたことを、誇らしく思うこともできます。

しかし、アブラムが自分の人生をすべてコントロールして、自分で旅立ちを決意したというのではありません。この先もアブラムは全てを知って歩むことはできないのです。「わたしが示す」と言われるように、神様が見せて下さるということに信頼し、神様が語られるままに道を歩むだけなのです。

では、なぜ神様は、アブラムを旅立たせたのでしょうか。神様はアブラムにこう語っておられます。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」何か、恐れ多い言葉がいくつも並んでいます。もしこれを自分に直接語られたとしたら、気が引けてしまいそうです。しかし、これは、神様からアブラムに与えられた約束です。アブラムが旅立った時から、イスラエル民族の歴史が始まりました。アブラムに語られた通り、神様はアブラムの子孫を増やし、大いなる国民にしました。そして、アブラムは信仰の父として名前を語り継がれることになるのです。そしてこのイスラエル民族の中から、民族を超えて人々を救う、イエス・キリストが誕生します。神様は、その壮大な救いの物語の出発を、一人の人の信仰による一歩から始められたということになります。アブラムにはこの時点ではそんなことは全くわかっていません。ただ、「あなたを祝福の基とする」という約束だけが知らされています。アブラムは、そのことをただ信じて、一歩を踏み出したのです。私たちにも、神様は同じように語りかけられています。私たちを創られた神様、私たちのことを命がけで愛して下さるイエス・キリストの言葉を私たちが聴いて歩み出そうとするとき、それが、私たちのどんなに小さな信仰によるものであっても、神様はその一歩をよいことの為に用いて下さいます。そのことがどんな意味をもつのか、すぐには結果として見えないかもしれません。私たちがこの世を去ってから意味をもつということもあるのかもしれません。しかし、私たちには分からなくても、この世界を造られ、全てを知っておられる神様が知っていて下さることに、安心してお任せすることができるのです。

今も世界では、様々なことが起きています。身の回りでも、遠いところでも、悲惨な出来事が後を絶ちません。病や貧困に苦しんでいる人々も多くおられます。神様は、この世界をどのように見ておられるのでしょう。神様が語られる言葉を聴くとき、私たちは神様がわたしたちのこの世界をどのように見ておられ、私たちが周りの人々やこの世界とどのようにかかわっていくことを望んでおられるのかを見せて下さっているのです。私たちの周りで、世界で、神様の御言葉の力が働かれることに、小さな私たちの、小さな一歩が用いられるとしたら、どんなに喜ばしいことでしょう。私たちがどんな人間であるかにかかわらず、神様は私たちにいつも語りかけて下さっています。共に、神様の言葉に耳を傾けつつ、一歩一歩を歩むことができたら幸いです。

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