聖書の言葉
初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行なう。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。
旧約聖書 イザヤ書 43章18~19節
弓矢健児によるメッセージ
みなさんにとって昨年は、どのような年であったでしょうか。世の中を見た時、いろいろな出来事があったことを思い出します。良いことや楽しいこともありました。しかし、昨年秋以降は、アメリカ発の金融不況や、悲惨な殺傷事件など、人々の心を暗くし、不安にするような出来事が多くありました。みなさんの中にも、失敗や辛いこと、悲しい出来事を経験なさった方もおられると思います。
私たち人間は、ひどく悲しいことや辛いことを経験すると、どうしても心が内向きになりがちです。「あの時こうすればよかった」、「あんなことしなければよかった」と、後悔の思いで心が一杯になります。また、昔のよかった時のことを思い出し、その思い出に浸ることによって、今の苦しさや、悲しさを忘れようとすることもあります。
しかし、当たり前のことですが、私たちはどんなにがんばっても過去に戻ることはできません。いくら昔のことを思っても、過去をやり直すことはできないのです。漫画の「ドラえもん」のように、タイムマシーンに乗って、過去や未来に自由に行くことはできません。そうである以上、過去を見つめるだけでは、何も問題は解決しません。過去の思い出に浸るだけでは、この今という時を大切に生きることはできないのです。
最初にお読みしましたイザヤ書43章18節で預言者は、「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな」と語っています。ここで預言者か語っている「初めからのこと」、「昔のこと」というのは、かつてエジプトの奴隷であったイスラエルの民が、神の御手によってエジプトから解放された出来事を意味しています。聖書の中で「出エジプト」と呼ばれている出来事のことです。イスラエルにとって、この「出エジプト」の出来事は、まさに彼らの信仰の原点であり、心のよりどころでした。だからこそ、彼らはどんな時も、この「出エジプト」の出来事を忘れず、いつも、その出来事を心に留め、子供や孫たちにも伝えていったのです。
しかし、預言者は今、イスラエルの民に向かって、「初めからのこと」、「昔のこと」を思い出すな、思いめぐらすなと語っています。なぜでしょうか。それは 19節で、「見よ、新しいことをわたしは行なう。今や、それは芽生えている」とあるからです。つまり、神はイスラエルの民に対して、今新しいことを行なおうとしておられるのです。
このイザヤ書43章が書かれた時代というのは、イスラエルがバビロン帝国によって滅ぼされ、多くの民がバビロンに強制連行されていた頃だと言われます。そのような苦難の中で、人々はかつてエジプトの奴隷から救われた時のことや、ダビデ王やソロモン王の頃の繁栄した時代を懐かしみ、昔のことを思いめぐらしていたのです。それによって、国を失い、異国の地にある苦しみを忘れ、心に慰めを見出していたのだと思います。
もちろん、過去に神がなさったことを忘れず、いつも感謝することは大切です。しかし問題は、過去の恵みがいくら大きくても、過去のことだけに目を奪われてしまい、神が今自分に為さろうとしていることに気づかない点にあります。つまり大切なことは、過去のことを感謝するとともに、しかし今、神が自分にしてくださっていること、自分に為そうとしておられることに、しっかりと目を向け、そのことに責任を持って応答していくことです。
神はこの後、イザヤ書の御言葉どおり、イスラエルの民をバビロンから解放されました。そのためイスラエルの民は再び、カナンの地に戻って行くことができたのです。神は確かに、イスラエルの民に新しいことを行なってくださいました。
しかし、ここで神が語っておられる「新しいこと」というのは、それで終わってしまったわけではありません。この後、神は世界の民を救うために、イスラエルの中に神の子イエス・キリストを誕生させてくださったのです。そしてキリストは、私たちのすべての罪を背負って十字架にかかって死んでくださいました。さらに私たちに新しい命を与えるために三日目に復活してくださったのです。
今もキリストは、天にあって、私たちを救いに導き、この世界に神の愛と平和を来たらせるために、聖書を通して語りかけ、働きかけてくださっています。まさに、キリストは日々、私たちのために新しいことを行なってくださっているのです。
昨年一年、いろいろなことがありました。わたしたちはそのすべてを覚え、神に感謝する者です。しかし神はこの新しい年も、私たちに新しいことをしてくださいます。私たちは信仰の目を持って、しっかりとそれを受け止め、前を向いて生きて行きたいと思います。