偉大な脚本家

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聖書の言葉

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。

旧約聖書 詩編 3編5~6節

吉田謙によるメッセージ

皆さん、おはようございます。新しい年の歩みが、神様によって祝福され、導かれますように、心よりお祈り申し上げます。

皆様から番組への要望やご意見を沢山いただいております。ありがとうございます。その中に、「聖書の学びもいいけれども、時には信仰者の生きた証しも聞いてみたい」というような要望が何通か寄せられました。今年はできるだけ、その要望にお答えしたいと願っています。既に何人かの信徒の方々には、お願いしておきました。どうぞご期待下さい。

今日は残念ながら信徒の方に来ていただくことはできませんでしたが、ある信徒の方が書かれた文章を紹介させていただきます。この方は、私が牧師をしております教会の信徒でありまして、昨年の夏、ご両親を同じ日に天国に送られました。この方のご両親は、かつてはお二人とも、とても元気で、教会をこよなく愛し、一生懸命、教会に仕えておられた方々です。ところが7年前に、この方の父親がアルツハイマー病を発症し、それとほぼ同時期に母親の方もパーキンソン病を患うことになりました。その時以来、彼女は7年間、厳しい介護の生活を送られたわけです。その彼女が「偉大な脚本家、監督に出会ってしまいました」というタイトルの証しの文章を書いて下さいました。こういう文章です。

「2010年8月4日に、両親が天に召されました。娘としては充分なことは出来ませんでしたが、父母の健康が許す限り礼拝出席を手助けすることが唯一私に出来ることだと思いました。母は一昨年の秋まで、父は昨年の5月まで愛する千里摂理教会の皆様と共に礼拝をまもることができ、感謝でした。

昨年の8月3日の夜、仕事からの帰りに病院に寄り、父を見舞いました。父はもう自発呼吸が楽にできない状態になっており、あまりに苦しそうな姿に一緒に行った息子と涙を流し、ぐったりして家に帰りました。するとすぐ、母の入所中の施設から『今から救急搬送するので病院に来てください』との連絡が入り、あわてて主人と病院に駆けつけました。夜中には意識が回復し、母と会話できるまでになり、いったん家に帰りました。するとまた、搬送先の病院から状態が悪化したとの連絡を受け、駆けつけましたが、午前4時47分に息を引き取りました。吉田牧師は教会学校の夏期学校で六甲まで行かれていましたが、連絡するとすぐ葬儀社の手配をし、駆けつけて下さいました。弟もすぐに駆けつけてくれて、母の遺体を家に運びました。

朝8時ごろから葬儀社の方と牧師、弟、主人の4人で、母の葬儀の打ち合わせを始めました。『父の方が病状が悪く、まさか母の方が先になるとは思いもよらず、母の葬儀中に父の入院先から連絡が入るかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします』と言いながら、打合せを始めました。すると、午前9時過ぎに父の入院先の病院から『心臓にかなり負担が来ているので、すぐに来てください』との連絡が入りました。葬儀社の方も『一端打合せを中断しましょう。待機しております』と言ってくださり、4人で病院に駆けつけました。4人で祈り、父の思い出を語りながら見守る中、午前10時45分に心臓が静かに止まりました。そして、待機中の葬儀社の方と共に父の遺体を家に運び、二人並んで部屋に寝かせました。それからは仕切り直しで、二人の葬儀の打ち合わせを始めました。

この数時間の出来事は、神の言われるままに神の指示通りに動いた夢のような時間でした。神が綿密な脚本を書かれ、施設や病院の方や電話等の小道具を用いながら、私たちは役者となって演じた大舞台でした。手に取るように、すぐそこに偉大なる大監督である神がおられるのが分かりました。紛れもなくそこにおられることを、この私の五感で感じました。出会ってしまいした。どんなに人間が努力しても、全く状態も場所も違うところにいた二人を、同じ日に逝かせることなど出来ることではありません。どう考えても神がなされたとしか説明がつきません。寂しがり屋の母が父の死を知って悲しむことがなく済んだこと、4人を勢ぞろいさせておいて父の死を4人で見送ることが出来たこと、どれをとってみても完璧な脚本です。二人が同じ日に逝った知らせを受けた誰もが『一体どっちが』と聞き返し、『二人ともなんてそんなこと見たことも聞いたこともない』と驚嘆していました。本当に驚くべき、本当にあった事実です。人は偶然だとか、奇跡だとか、二人は仲がよかったからとか、色んな納得の仕方を勝手にします。でも神がなされることは偶然でも奇跡でもないと思いました。ハレルヤ、主よ。」

こういう文章です。

この方のご両親は、教会が大好きでしたから、ご家族の方々は出来るだけ日曜礼拝に出席できるようにと、ご両親を車いすに乗せて、交代で教会まで送り迎えなさいました。最後の方は、認知症がかなり進んでいましたから、おそらく何も理解できていないのではないかと私は思っていました。けれども、彼女が、ある時、こういう報告をして下さったのです。

「メッセージの中で私が心打たれた時に、ふと隣にいる父親の顔を見ると、父も涙をホロポロ流して感動していました。父は吉田先生のメッセージをちゃんと理解していましたよ」と。

認知症の父親とパーキンソン病の母親の介護をすること、これは想像以上に厳しい現実です。けれども、こうして不思議な仕方でご両親が天に召されたということは、神様が、このご家族に、「ご苦労様」「よく面倒を見ましたね」「もうこれで十分です」と言って下さった、ということではないでしょうか。

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