映画と信仰

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聖書の言葉

主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。

旧約聖書 詩編 103編3~4節

赤石純也によるメッセージ

この音楽をご存知でしょうか。

♪音楽

イギリス映画『第三の男』です。実はこの映画はお墓のシーンに始まり、お墓のシーンで終わります。冒頭の埋葬のシーンで、穴に降ろした棺に土を掛ける前に、牧師が何か言っています。その場面をお聞きください。

こんなふうにして埋葬されたはずの男が実は死んでいなかったということが、やがてわかります。この『第三の男』という映画では、そこが一番重要な鍵になるのですね。みんなだまされていたわけです。死んで埋葬されたはずの男が実は生きていた、そんなトリックを主人公が暴いていく、それが何ともスリリングな、この『第三の男』という映画の醍醐味になっているのですけれども、実はここには非常に面白いパロディーが仕組まれています。今、聞いていただいた埋葬のシーンをもう一度、聞いていただけますか。

この牧師は何と言っているかというと、こう言っています。「私は聖霊を信じる。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの命を信じる」。この「体のよみがえり、とこしえの命を信じる」という言葉通り、埋葬されたはずの第三の男はよみがえり、とこしえの命を持っているかのように、生きていた。というパロディーがこの『第三の男』という映画の勘所になっているのですね。こういうパロディーにされるほどの、この牧師の言葉なのですが、実はこれは、教会が今も言い続けている言葉です。教会の言葉なのです。この映画では聞こえない頭の所から言ってみますと、こんな言葉です。

「私は天地の造り主、全能の父である神を信じる。私はその独り子、私たちの主イエス・キリストを信じる」。そして最後に「私は聖霊を信じる。罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの命を信じる」となって終わるのですね。

私は罪の赦しを信じる、私は永遠の命を信じる、こう言ってから棺に土をかける。そうするとこういう埋葬は非常に希望に溢れた埋葬なのですね。生きているときに犯したすべての罪を赦されて、永遠の命を約束されて、本当に安心に満ちた最期の時です。教会が約束しているのは、そういう罪の赦し、そして永遠の安らぎに満ち、平安に満ちた人生なのです。

映画の終りではこの第三の男は本当に死んで埋葬されます。そのときにはこの男がどれほどの罪を犯したか、もう分かっているわけですが、この「罪の赦しを信じる」という言葉が言われながら埋葬される冒頭と同じシーンで終わる。この『第三の男』という映画の全体が、この教会の言葉を考えながら作られているのですね。

教会では今もこれと全く同じ言葉で「私は信じる」と言い続けています。お葬式の時だけではありません。日曜日の礼拝ごとに、今朝も、集まった全員が声を合わせてこの言葉を言います。

「私は天地の造り主、全能の父である神を信じる、私はその独り子、私たちの主イエス・キリストを信じる、私は聖霊を信じる」。その結果、「罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの命」が信じられる。

信じて生きるということは私たちの命にとって根本的に大切なことです。信じて生きて初めて希望にあふれた生き方、平和に満ちた人生が開けるのですね。父である神と、イエス・キリストと、聖霊。その何をどんなふうに信じたらいいのか。それが全部、聖書に書いてあります。聖書を開いて見たけれども難しい、どう読んだらいいのかわからない、そんなときにはお近くの教会にぜひいらしてみてください。必ず聖書がわかります。そして希望にあふれた生き方が必ず開ける。人生が根本的に変わります。

このことを全く確実なこととして知っている人々が、この映画『第三の男』を作った、そのことを知っておいていただきたいと思います。

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