誰の言葉を信じるか

城下忠司
- 伊丹教会 引退長老
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誰が世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
新約聖書 ヨハネの手紙一 5章5節
私たちの人生には、誰にでも、いくつもの道があって、そのゆくべき道を選
択して進まなければなりません。職業の選択や結婚の選択のような大きな選択
から、日々の小さな選択まで色々と決断を迫られることを経験いたします。
どの道を選んでも、平坦な道は無いということを経験しています。また、そ
の道程において、悩みや悲しみにしばしば出会うことをよく知っています。
右の道か、左の道かを自分で問い続け、一方を選んで歩いていきます。その
道では、時には、悲しみや怒り、憤りや恨みなどに心を乱されることなどがあります。その道が、ある時は幸福に思ったり、あるときは不幸を味わったりするのではありませんか。
私たちの置かれている今の環境が、恵まれた環境にいる時が幸せで、そうでないときには不幸であるということは言えないのではないでしょうか。何不自由の無い生活を送っている人でも不幸な人はいくらでもいますし、人の目に良く見えることや、また、願いが満たされ,あるいは欲望が満足できた時などは確かに心地よく魅力的なことかも知れません。また、幸福か不幸かについては、その人の考え方によって決まるのではありません。
最近のことですが、手紙という歌が流行っています。昨年には樋口了一と言う方が「手紙-親愛なる子供たちへ-」という題の歌を出しました。そして、一昨年でしたか、アンジェラ・アキという女性の歌が全国合唱コンク-ルの中学校の部で課題曲として多くの人に知られるようになりました。「手紙-拝啓十五の君へ-」という題で、歌詞に心を惹かれましたので、ここで紹介します。
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手紙~拝啓十五の君へ~作詞・作曲:アンジェラ・アキ
拝啓この手紙読んでいるあなたは、どこで何をしているのだろう
十五の僕には誰にも話せない、悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
今負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
一つしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている
拝啓ありがとう、十五のあなたに伝えたい事があるのです
自分とは何で、どこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと、夢の船よ進め
今負けないで泣かないで、消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている
人生の全てに意味があるから、恐れずにあなたの夢を育てて
Keep on believing
負けそうで泣きそうで、消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの
ああ負けないで泣かないで消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて今を生きていこう
今を生きていこう
拝啓この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います
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私はイエス・キリストを信じるようになってからは、聖書から教えられて、生活をすることを目標に生きています。聖書は人の幸福、不幸というものは、その人の境遇によって、左右されるものではないことを教えてくれています。そして聖書の神さまは、人が神さまに背を向けて生きている生活の中に最も大きな不幸を見ています。人は誰でも自分で決めた道を、目標に向かって、進路を定めて歩くことをいたします。その中で実際には自分で思うように進めないことを経験します。今の時代、自分には夢も希望も持てないと思っている人が増えています。
そして、自分が見えなくなる時、人は自分で自分を死に至らしめることだってあります。統計によると、日本では30万人もの方が自殺を計っているとも言われています。人の幸福にとって決定的なことは「自分はどこにいるか」ということであって、恵まれた良い環境の中にいるか、そうでないかではないのです。たとえ順調に行っていて成功したと思っても、やがて人生の終わりはすぐに来るのです。
聖書にでてくる一人の神さまを信じる王様は次の言葉を残しています。《人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。》(箴言16:9)
別の指導者はあらゆる人生の歩み方について、経験し、その道は数知れず多いことを知った後で、人の道には確実に幸福に向かう道があることを告げています。それは《神さまの命の,豊かな恵みの川のほとりにいること》であると、命の川のほとりに植えられた木は、神さまの声を聞き続けることができ、命の恵みを受け続けることができるのです。
《私は既に世に勝っている。》と、十字架の贖いの死をとおして、全ての罪と滅びから私たちを救い出してくださったイエス・キリストは宣言しておられます。
聖書は、神さまからの手紙です。ここには光であり、命であるイエス・キリストの愛のメッセ-ジが溢れています。教会はこのイエス・キリストの居られるところです。