人類の二つの源流

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聖書の言葉

死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。

つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、

キリストによってすべての人が生かされることになるのです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 15章21~22節

大野桂一によるメッセージ

精神科医、作家の加賀乙彦先生が、昨年の12月『不幸な国の幸福論』という本を出されました。その中で、先生が東大の医学部に入り、人体解剖の実習をされる時に「60兆もの細胞から構成されている人体の複雑かつ精巧なメガニズムに圧倒され、どういう発明家がこれほど美しい生命を生み出したのかと思いを巡らさずにはいられなかった。その思いがやがてキリスト教に結びつき、58才の時にカトリックの洗礼を受けるに至りました」とあります。

私たちは自分の心臓の鼓動を自由に止めたり動かしたり出来ません。寝ていて無意識の時も、心臓は動き続けて、この肉体の命が保たれています。私達のこの命は、自分で獲得した命ではなく、神から与えられた命、神によって生かされる命なのです。

聖書の最初のことば(創世記1:1)は、「初めに、神は天地を創造された」です。聖書に拠れば、天地総ては神によって創造されました。神は太陽も月も地球も、地球にある総ての物をも創造されました。最後に人間をご自分にかたどって創造されました。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記1:27)

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(同2:7) とあるように、神は総てのものの中で、人にだけ神の息を吹き込まれて創られました。聖書の原語では息と霊は一つの単語ですから、息を吹き込まれたとは霊も吹き込まれたことになります。

それは霊である神が、霊において人と交わるためでした。人は動物と同じ素材で創られましたが、動物とは異なり特別な霊性を持つ存在となりました。肉体においては大地と連なり、霊性においては神に連なるもの、神と交わるべき者として創られました。だから死ぬとこの体は動物と同じ様に土に帰りますが、その霊なる命は神の懐に帰るべきものなのです。この世界で生きている時も、肉体の死後も、具体的な私という存在が、神との交わりに生きるべきものとして創られました。

ところが最初の人アダムは、神が食べるなと禁じられた、たった一本の木、善悪の知識の木の実を、サタンである蛇の「その実を食べると神のように善悪を知る者になる」との誘惑に破れ、その実を食べました。この神への不服従は、神に創られた人間が、自分自身を創造者なる神の立場におこうとする重大な罪でした。人に外から罪が入ってきたのです。

罪ある人は神との交わりを断たれ、エデンの園を追い出され神との交わりを断たれたのです。この交わりを断たれた状態が罪なのです。アダムの罪により生れながらの総べての人は、神との交わりを断たれている罪人なのです。罪人は聖い神の御前で滅びるほかはありません。人は死に支配されるようになったのです。

そのような罪ある人を神はなお愛し、神のかたちを回復し、神との交わりに生きる命を得させるために、ご自分の独り子イエスを人間としてこの世に遣わされ、このイエスに私達の総ての罪を担わせ、身代わりの十字架につけて、私たちの罪を処分して下さいました。そして神はこのイエスを復活させられました。復活は天地を創造された神の業なのです。

このキリストの十字架を信じる者は、自分自身の罪は、既に十字架により処分済みですから、正しい者として、神との交わりが、命が回復するのです。

最初の人アダムとイエスは、全世界を覆う2つの人類の大きな流れの先頭に立っているのです。アダムにより神との交わりが断たれ、死が支配するようになったのです。

そこで、神は罪を赦し、死に打ち勝ち、交わりを回復する道をイエスによって拓いて下さいました。イエス・キリストを信じる者は、罪は十字架により、既に処分済みで、罪の無い者義人として見做して下さり、交わりを回復し、新しい命を与えて下さるのです。

植物の種を播くと種は死んで新しい芽が出て、種の命が新しい芽に継続される様に、キリスト者は、この世の肉体は滅んでも、罪を赦され義人としての新しい命を神と共に生きるのです。現在の肉体の体は、朽ちるものですが朽ち無いものに、弱いものですが強いものに、地に属するものですが天に属する霊の体に変えられるのです。

この霊の体は、現在の肉体の体と不連続な面と連続した面がありますが、この世のあなたの特徴をもった体、霊の体になるのです。そして霊の体をもって、神との交わりに永遠に生きることになるのです。

最初の人アダムによって死が支配し、第二のアダム、キリストによって命が甦るのです。

誰であってもキリストを信じる人は、罪と悲惨のこの世にあって、如何に苦しみ悲しみ試練に遭おうとも、たとえ死の床にあっても、神と永遠の交わりに生きる希望があるのです。ここに生きている時も死後も神との交わりに生きる希望ある人生、生きがいのある人生があるのです。

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