自閉症児の豊かな世界その6

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聖書の言葉

だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 12章20~22節

吉田実によるメッセージ

今回は久しぶりに、私の息子のことをお話させていただいております。

私の息子は重度の知的障害を伴う自閉症という障害があるのですけれども、その息子を通して出会えた仲間たちと一緒に、月に一度ハレルヤキッズスペシャルという障害児とその親たちの集いを開催しています。そして昨年の夏にそのメンバーで、韓国の教会を訪問することが出来ました。これは私たちにとりましては画期的な、とっても貴重な経験でした。

子どもたちにはそれぞれ特徴がありまして、大きな音が苦手な子もいれば、飛行機のような狭いところでじっとしていることが苦手で、以前飛行機の中でパニックを起こして大変なことになってしまったお友達もいますから、「海外旅行などもう一生無理だ」と諦めていたお母様方も少なくなかったのです。

けれども、私たちの集いを応援してくださっています韓国の女性の宣教師の方が「大丈夫!みんなで行けば何とかなりますよ!飛行機がだめなら、船で行けばいいじゃないですか。」と励ましてくださいまして、夏休みに、みんなでフェリーに乗って釜山まで行きました。行く前は色々心配があったのですけれども、結果的にはとっても楽しい、素晴らしい旅となりました。

その旅の中で私たちは、日曜日に釜山にあります大きな教会の障害児のための礼拝に参加させていただきました。私ははじめ、「障害児礼拝」と聞きましたときに、大変興味はありましたけれども、「それって一体なんだろう?」という疑問も湧いてきたのです。もしも、障害を持った子たちは礼拝の邪魔になるので、こっちに集まりなさい、というようなことだとしたら、それは違うと思ったのです。

でも、そういうことではありませんでした。もともと、「礼拝には出たいけれども、子どもが騒ぐので気兼ねで行くことが出来ない」という障害児を持った親御さんの声に応えて、それならそういう方々が遠慮なく参加できる礼拝を行いましょうということで始まったそうです。

そこには50人くらいの知的障害児と、同じ数のボランティアと、音楽スタッフや子どもたちの家族含めて200人くらいの人たちが一緒に礼拝をしていました。障害がある子どもたちを中心にしながら、障害者も健常者も、若い方もお年よりも、色んな方々が一緒に礼拝をささげていらっしゃいました。

そして私が特に感動いたしましたのは、障害を持った人たちがお世話をされるだけではなくて、自分たちの出来ることを通して積極的に奉仕をしていたということです。

ある若い男性は、言葉を滑らかに発声することが出来なくて、声を出すと調子が外れてしまうのですが、その男性がステージの上に立って、とっても元気に讃美をリードしていらっしゃいました。その音程は完全に外れているのですけれども、でも体全体でリズムを取りながら元気いっぱい賛美する彼のリードにあわせてみんなが歌う中で、私は不思議な平安を感じました。「この場にはすべての人が招かれている。」と感じました。そして「ああ、こういうのもありなんだ!」と思いました。

私の発想なら、「ちゃんと発声できないなら、歌うのは無理かもしれないけれども、楽器を練習したらどうでしょう?」とか、そういう導き方をすると思うのです。けれども、そういう導き方をしていたら、あの讃美リーダーは存在しないのです。ですから、彼はそういうふうには導かれなかったということです。「歌いたいのなら歌ったらいい!あなたなりの、あなたらしい仕方で、精一杯歌ったらいい!」そんな風に導かれてあの賛美リーダーは生まれたのだと思います。

それはとっても素敵なことだと思いました。そしてよく考えますと、私たちもそんな風に導かれて韓国に行くことができたのだと思います。「飛行機がだめなら船で行けばいい。みんなで力を合わせて、自分たちらしい仕方で行けばいい。きっと行けますよ!」そんなふうに導いていただいて実現した旅は、とても素敵な経験となりました。

今日の聖書の箇所でパウロという人は、教会を人間の体にたとえまして、一人ひとりの多様性と一致ということを教えています。人間の体の各部分には色んな違いが有りますけれども、違いが有ることが大事なのであって、もしもその違いを積極的に認めあわないなら、体は体として成り立たないのです。

また、体の中でも弱く見える部分がかえって必要なのだとも語っています。人間が交わりの中で共に生きてゆくときに、一人ひとりの違いを否定的に見つめるのではなくて、特に弱さという特徴を大事に積極的に受け入れ合うときに、それは単なる弱者への配慮ということではなくて、それが共同体全体の豊かさにつながるのです。皆さんお一人お一人にも、色んな弱さがあると思います。でも、そんなあなたが必要なのです。

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