世の終わりはいつ来るの?

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聖書の言葉

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」

新約聖書 マタイによる福音書 24章3~6節

吉田謙によるメッセージ

「何年何月何日に世の終わりが来る!」とふれ回り、社会を脅かす、いかがわしい宗教が後を絶ちません。実際に10年程前に、ノストラダムスの大予言が注目されて、1999年7月に世界は滅びるのではないか、という噂が世間を騒がせました。キリスト教会は、そんなことは信じなかったわけですけれども、しかしテレビを見ますと、「1999年7月が過ぎるまでは子供は作らない」「結婚はしない」「どうせ1999年7月までの人生なのだから、今の内に好きなことをして楽しもう」本当に信じられないくらいに沢山の人たちが、この噂に踊らされたわけです。

確かに世の終わりは必ず来ます。しかし、それがいつ来るのかは誰にも分かりません。それは神様にしか分からないのです。ただその日が近づいているということだけは確かでしょう。けれども、それは一年先なのか、あるいは十年先なのか、それとも百年、千年先なのか、私たちには何も分からない。

新約聖書のヨハネの黙示録の一番最後のところには、「わたしはすぐに来る」と言われています。使徒ペトロもその手紙の中で「万物の終わりが近づいている」と書いています。イエス様の時代に、「すぐに来る!」と言われていたのに、あまりにも遅すぎるではないか。「万物の終わりが近づいている」と言われていたのに、いったいどうなってしまったのか、と思われるかもしれません。

しかし、使徒ペトロはその手紙の中でこうも言っています。「主のもとでは、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」ペトロの手紙二3章8節、9節の御言葉です。

全てのものを造り、時間をも創造された神様にとって、永遠という中の千年は、一日と何ら変わりない。その通りでありましょう。私たちは偽の救い主に踊らされて、何年何月何日に終わりの日が来ると慌てふためくのではなくて、神様が定めて下さった日を、ただ心騒がせずに待てばよいのです。

戦争や天変地異が起こると、必ず「世の終わりが近い」と騒ぎ立てる人が現れます。つい最近では、ハイチやチリで大変に大きな地震が起こりました。こういうことが起こると、必ず「世界の終わりだ!」と慌てあためく人たちがいます。しかしクリスチャンは、そういう時に慌てなくてもよいのです。怯えなくてもよいのです。何故でしょうか。

世の終わりというのは、そういう戦争や地震で起こるものではないからです。世の終わりというのは、いつの日か神様ご自身が世界の歴史を完成して下さる、喜びの時なのです。神様はこの世の歴史を一番いい時に幕を閉じて下さる。私たちは、その神様の定めて下さった時を、慌てず、騒がず、落ち着いて待てばよいのです。

今から約千年前、紀元千年を目前にした頃、ヨーロッパには終末を巡る混乱があったそうです。ペストが流行し、干ばつと飢饉が襲いかかり、あくどい支配者は村を焼き、村人をまるで虫けらのように殺しました。さらに反キリストの大軍団であるヴァイキングやフン族、蒙古族、トルコ族などの大侵入がありました。夜空には大彗星が現れました。日食や月食が起こりました。そしてこの世は最初の千年で終わる、と宣伝する者たちが現れたのです。

人々は世界が滅びるとなると、税金を払わず、仕事を放りだし、暴徒と化してしまいました。紀元999年、人々は閉じこもり、食べるものは何でも食べ、人肉が売られたそうです。千年期の終わりのヨーロッパは、こういう悲惨な状態でした。イエス様が忠告しておられることは、そういうことです。世が滅びると言って浮き足立っている者に対して、「世の終わりはすぐには来ない」「もっと腰を据えて、堅実な歩みをするように」と教えられるのです。

また逆に、「世の終わりなど来ない」「絵空事である」そう思って生きている人たちに対しては、「世の終わりは近い」「もう戸口まで来ている」と警告なさるのです。

私たちは、この二つのメッセージを、どちらも軽んじるべきではありません。宗教改革者ルターは、「たとえ明日、この世界が滅びるということを知っていても、私は、今日、なおリンゴの若木を飢えるだろう」と言いました。これが、クリスチャンの本来あるべき姿でしょう。常にイエス様が来られる心備えをし、しかも浮き足立つのではなくて、堅実に、地に足をつけて生きる、こういう生き方を、私たちも少しずつ身につけていきたいと思います。

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