なぜ離婚してはいけないの?

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聖書の言葉

ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

新約聖書 マタイによる福音書 19章3~6節

吉田謙によるメッセージ

私が担当させていただく時には、クリスチャンとして生きていこうとする時に生じる様々な疑問に対して、聖書の御言葉から教えられたいと願っています。今日は結婚の問題を扱いたいと思います。

何故、離婚してはならないのでしょうか。その答えは単純です。それは結婚の結びつきが、神様が結び合わせて下さった尊い結びつきだからです。

そもそも結婚は、神様が人間を男と女とにお造りになった、その天地創造の御業を土台としています。そのことを語っているのが、旧約聖書の創世記2章18節以下の御言葉です。

創世記2章18節。「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。』」

この「彼に合う助ける者」と訳されている「合う」という言葉は、「向かい合う」とか「対等の」という意味の言葉です。男と女は、もともと向かい合う存在として、対等な存在として造られました。男も女も、神のかたちに造られたという点で、その存在の大切さは変わらない。対等なのであります。

また、この箇所の「助ける者」という言葉は、よく「神は助け手」というように、神様に対して使われることの多い言葉です。ですから、ここでの「助け」というのは、主人が僕にやらせるような、自分にできることを代わってやらせる「助け」ではなくて、自分にはできないことを助ける、そういう助け手のことを言っています。男は女にできないことを助ける。女は男にできないことを助ける。男と女というのは、もともと、そういうお互いに助け合い、補い合って生きていく存在として造られました。つまりお互いがお互いを必要とする存在なのです。

基本的には他人である二人が、一つ屋根の下で長く暮らしていく内には、どんなに努力しても、決して分かり合えない部分が見えてきます。これはどうしても避けることができないことでありましょう。何故ならば、そもそも男と女は、その力、働き、特性においては、最初から違う存在として造られたからです。男と女は、お互いがお互いを助け合い、補い合うために、あえて違う存在として造られたのです。男性と女性とでは、体の造りそのものが色々と違うということは、いちいち言われなくても、よく分かることだと思います。

けれども、最近の研究では、男性と女性とでは脳の構造そのものが異なっているということが解ってきました。ですから、同じ出来事を経験したとしても、多少の個人差はあるにしても、男性の感じ取り方と女性の感じ取り方は明らかに違うのです。男と女が助け合い、補い合って、生きることができるようにと、神様は最初から、男と女をそのように違う感性をもつ存在として造って下さったのです。そして、この感性の違いは、いくら努力しても頭で理解することはできません。

離婚の原因として一番に上げられるのが、やはり「性格の不一致」と言われます。しかし、どうしても一致できないと思っていたその性格が、初めから一致できるはずもない「男と女の根本的な違い」であったというケースが実は多いのだそうです。そういう人は、何度、結婚し直しても、決して幸せな結婚生活を送ることができません。まず「男と女は根本的に違う存在なのだ」ということを受けとめることから始めなければならない。このことをちゃんと受けとめているならば、大抵のことは許し合うことができます。

その時に模範となるのが、やはり、あのイエス様の十字架の赦しの言葉でありましょう。イエス様は、十字架の究極の苦しみの中で、自分を鞭打ち、殴り、罵倒し、ついには殺そうとしているローマの兵隊に向かって、また陰謀によって自分を死の苦しみに追いやったユダヤ教の指導者たちに向かって、こう言われました。「父よ。彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」

このお言葉は、私たちに許し合う時の秘訣を教えてくれていると思います。「相手が何をしているのか分からないのだ」という認識に立つ時に、私たちの怒りは驚くほどに軽減するのではないでしょうか。赤ちゃんが髪の毛を引っ張ったからと言って、むきになって怒る大人はいないと思います。それは、その赤ちゃんが悪気があってやっているのではない。分からずにやっているのだ、ということを知っているからです。これは決して馬鹿にしているのではありません。その存在そのものをありのままで受け止めているということです。

私たち一人一人は、最初から違う人格をもった特別な存在として神様に造られました。そして、それぞれの関係は、神様が限りなくゼロに近い可能性の中から結び合わせて下さった特別な関係であります。このことをしっかり受け取ることができたならば、どんなに相手が違っていても、許し合うことができる。いやむしろ、違うからこそ、尊敬し合い、補い合い、仕え合うことができるのです。

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