暗闇を照らす光

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聖書の言葉

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

新約聖書 ルカによる福音書 2章8~12節

吉田謙によるメッセージ

ルカによる福音書の1:78、79節では『「神の憐れみ」によって、私たちに「光」が訪れ、この「光」が「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし」、「平和に導く」』というように言われています。これがクリスマスの恵みであり、喜びです。あのクリスマスの夜に、野宿していた羊飼いたちは、将にこの暗闇と死の陰に座している者を照らす光を見たのです。

当時の羊飼いというのは、一般の人々からは卑しい身分の者と思われていました。羊とずっと行動を共にしますから、彼らには定まった家がありません。獣の臭いがこびり付いている。特別な教養がなくても羊飼いにはなれましたから、羊飼いの中には、職にあぶれた「ならず者」も、少なからずいたようです。彼らは、人々から軽蔑され、差別され、「もうお前たちには救いはない。神様から見捨てられたのだ」とずっと言われ続けてきました。もう社会の片隅に追いやられてしまっていた。人間扱いされていない。いてもいなくてもどうでもいい存在。これが彼らの社会的立場でありました。彼らこそ、将に暗闇と死の陰に座している者たちだったわけです。私たちは自分が誰からも必要とされず、大切だと思われていなければ、生きていくことが出来ません。

ある国で内乱が起き、多くの人々が虐殺されました。その虐殺からかろうじて免れた人々が難民キャンプに連れて来られました。その中に幼い子どもが一人いました。両親を目の前で殴り殺され、逃げる途中も多くの人々が殺されるのを見ながら、その子は命からがら逃げてきました。大変なショックと心の傷を負い、難民キャンプに辿り着いた時には、もうその子は生きる気力を失っていたそうです。幸い、そのキャンプには医療器具も食料も充実していて、その子は食べることに不自由しませんでした。怪我と病気も完全に治療してもらうことが出来ました。けれども、どんなに栄養を与えても、その子の体は拒否反応を起こして受け付けず、日に日にその子は痩せ衰えていきました。とうとう医者もさじを投げ、「この子が死ぬのは、もう時間の問題である」と誰もが思っていたそうです。

ところが、そのキャンプで奉仕していたボランテイアの青年の一人が、その子を抱き上げ、朝から晩まで、ずっと抱きしめ、耳元でささやき、子守唄を歌い、顔や身体をやさしく撫でてやったそうです。何一つ反応を示さいその子を、青年は来る日も来る日も、ずっと一緒にいて、やさしく語りかけ、子守唄を歌い、しっかりと抱きしめたのです。するとどうでしょう。それまで顔がこわばって、にこりともしなかったその子が、ある日、かすかに笑うようになった、と言うのです。そして、あれほど拒絶していた栄養も受け付けるようになり、それからというもの、もうみるみるうちに健康を回復していったそうです。

なぜ、この子は助かったのでしょうか。「生き延びたい。」この子がそう思ったからです。大切な家族を目の前で殺され、全く絶望の中にあって、何の希望もない、誰にも愛されていない、必要とされていない、と思った時に、この子は本能的に、自分の命を閉じようとしたのです。けれども、一人の青年が懸命にこの子に愛を注いだ時に、この子は、自分の意志で「生きたい」と思った。愛の奇跡です。人間というのは、ただ食物や栄養だけで生きるのではありません。自分を愛し、あるがままで受け入れてくれる存在が必要なのです。「あなたは私にとってかけがえのない、大切な大切な存在なのだ。高価で尊い。私はあなたを愛している」と言ってくれる存在が、どうしても必要なのです。

私たちには弱さがあり、欠けがあり、破れがあります。神様から見れば、私たちは霊的に瀕死の状態にあるのかもしれません。もう何をやっても無駄である。神様がさじを投げても何も文句が言えない私たちです。けれども、神様は「そんなあなたでは愛せない」とは言われません。「生きて欲しい」と願って、瀕死の状態にあった子どもを、ただひたすらに抱きしめたあの青年のように、神様は私たちを、欠けや弱さや破れをもったまんまで抱きしめて下さる、愛して下さる、受け入れて下さるのであります。このことの第一歩が、あのクリスマスの日に起こりました。神様は私たちを救うために、ご自分が最も大切にしておられる独り子イエスを、この世に送って下さったのです。そして、その知らせが、人々から軽蔑され、差別され、誰からも必要とされていなかった羊飼いたちに真っ先に届けられたというのは、この救いがどういう救いであるかをよく表していると思います。

「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」これは決して他人事ではありません。今、生きることに空しさを覚えておられる方々。病や肉体の衰えに不安を覚えておられる方々。毎日の生活に疲れを覚え、嫌気がさしておられる方々。様々な問題を抱えて、今将に八方ふさがりの方々。そういうあなたを救うために、イエス・キリストはこの世にお生まれになったのです。

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