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聖書の言葉

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

旧約聖書 エレミヤ書 29章11節

家山華子によるメッセージ

4月に入り、新しく入園、入学をした子どもたちが、ピカピカのランドセルを背負って元気に歩いている姿が見られるようになりました。また、就職をして社会人としての第一歩を歩み始めた若者たちが、スーツに身を包んで電車に乗っている姿も見られます。また、新たな土地で生活を始めたという方や、新しい職場で働き始めたという方もおられるでしょう。

4月は、新しい歩みが始まる時です。あまり大きな環境の変化がない者にとっても、新鮮な気分や、新たな気分にさせられるときです。これからどんな生活が始まるのだろうという期待と不安の入り混じったような気持ちで毎日を過ごしている方もおられるでしょう。

さて、この時期は希望に胸を膨らませている方々が多いときですが、しかし人生には自分が計画していたこととは違う、こんなはずじゃなかった、ということが起こります。もしかしたら、今そのような状況に置かれている方がおられるかもしれません。

残念ながら受験で行きたいところに入れなかったので、あまり行きたくなかった学校に通い始めたという方。

もう一年受験勉強をすることになってしまったという方もおられるかもしれません。

学校というところに通うことが辛くなってしまった子どもさんもおられるかもしれません。

第一線でお仕事をされていたのに、急に怪我や病気で入院生活を強いられているという方も、もしかしたらおられるかもしれません。

今、大きな病気と闘っておられるという方もおられるでしょう。

自分が思い描いていた計画とは異なる生活をしなくてはならなくなった時、なかなかそういう現実を受け入れることがわたしたちには難しいときがあります。いったいどうしてこういうことになるのだろう。そういう時は、色々とその意味を考えてみたりします。自分のそれまでの歩みを振り返って、どこか自分に悪いところがあったからこんなことが起こるのだろうか。あるいは、今年は厄年だからだろうなどと、何か理由を探したくなるのがわたしたちです。

そんな私たち人間を創られた神様は、このようにおっしゃいます。「わたしがあなたたちのために立てた計画は、わたしが知っている。」わたしたちには、どうしてこのようなことが起こるのか理由がわからないということがあっても、あるいは、思ってもみなかった道を歩み始めているときにも、神様ご自身が、わたしたちに計画を持っておられると言われます。

では、神様は、どうしてわたしたちが苦しまなければならないような、辛い思いをしなければならないような計画をされるのでしょうか。そう問いたくなります。

そこで神様は言われます。「わたしが立てた計画は、災いを与えようとするのではなく、平和を与えるものである。」

今のわたしたちには、苦しい状況にしか見えない、どうしてこんな大変な道を通らなければならないのかと思ってしまうかもしれません。しかし神様は、それはわたしたちにとって、災いではなく、平和を与えるための計画だといわれるのです。

ここで神様が言われる平和というのは、わたしたちが考えるような平和とは少し違います。争いや病気や困難がないこととは少し違うのです。それは、神様から離れずに、神様との関係の中を歩む時に与えられる平和です。わたしたちを創られた神様は、神様との関係の中を歩むようにわたしたちを造られました。

わたしたちは、自分の力で人生を歩もうとします。自分の思い通りに、計画通りに人生を歩みたいと思うのです。しかし、なかなか計画通りにいかないときがあります。他の人と比べてしまうと自分は幸せではないと思ってしまうことがあるのです。そんなとき、神様はわたしたちに語りかけておられます。自分の力で歩もうとしないで、わたしに尋ねてごらんなさいと。神様に祈り求めなさいといわれているのです。そうすれば、神様は応えてくださるといわれます。

しかし、わたしたちはなかなか神様に祈り求める気持ちになれません。自分でできるのだから、大丈夫。助けなど必要ない。心のどこかでそう思ってしまうのです。しかし、どうでしょう。神様はわたしたちのために、わたしたちの将来のために、希望を与える計画を用意してくださっておられます。

わたしたちには、そのすべてがわかりません。見えません。でも、すべてを知っておられる神様、わたしたちを創られた神様がもっておられる計画よりも、よい計画をわたしたちが立てることができるでしょうか。

わたしたちは、少しずつ自分の人生を神様に明け渡すことが求められています。生まれたばかりの赤ちゃんの手はみんな、ぎゅっと握りこぶしを作っています。しかし、亡くなられた方の手は、開いた状態です。わたしたちの人生は、自分の手でギュッと握り締めるところから始まりますが、だんだんと手を開いていき、神様に自分の人生を明け渡すようにされていく歩みともいえるかもしれません。

わたしたちが最後に迎える死は、わたしたちの力ではどうすることもできないものです。神様に自分の人生を明け渡す最後のチャレンジなのではないかと思います。わたしたちのなかなか開くことのできない手を、神様の希望の計画に明け渡して歩むことが、わたしたちにとっての平和です。そのような平和へとわたしたちが今日も導かれていることを信じて、今日一日を歩んでまいりましょう。

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