シャガールの『白い磔刑』

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聖書の言葉

彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

旧約聖書 イザヤ書 53章4節

吉田実によるメッセージ

私がお話をさせていただくときは、「絵画と信仰」というテーマで続けてお話をさせていただいておりますけれども、今回は20世紀のフランスを中心に活躍いたしましたロシア系ユダヤ人画家、シャガールの作品をご紹介しています。

シャガールは大変幻想的な、まるで夢の世界のような絵をたくさん描きましたけれども、彼が描いた世界は決して気まぐれな幻想ではなくて、ロシア系ユダヤ人として生きた、故郷の町の思い出や文化と結びついています。シャガールは「幻想画家」というよりも、むしろ自分にとっての真実を描いたレアリストだったのです。そんなシャガールは、ユダヤ人として深い苦悩を味わった人でもありました。

帝政ロシアの時代、ユダヤ人は定住許可区域から自由に町を出ることが出来ませんでした。しかしシャガールは幸運にもある弁護士の計らいでパリに留学することが認められ、そこで新しい芸術の空気に触れながら、美しい色彩と独特の表現スタイルを身に着けてゆきます。しかし、ベルリンで初めての個展を開く機会が与えられ、ベルリンから一時故郷のヴィテブスクに戻ったときに第一次世界大戦が勃発して、彼はそのまま故郷に留まります。そして、やがてロシア革命が起こり、シャガールも一時は熱心に革命に協力しました。そして1917年の十月革命は、ロシア全土のユダヤ人にとって輝かしい解放の時に思えました。彼らはついに、平等な市民権を与えられたのです。

しかしそれもつかの間、再びユダヤ人排斥運動が起こります。燃えるような情熱を持って始めた仕事も短命に終わり、幻滅と不安にとらわれたシャガールは、一家を連れて再びパリに戻ります。やがてヒットラーの演説の声がヨーロッパ各地に響き渡り始め、1933年にはドイツのマンハイム美術館においてシャガールの作品が退廃芸術として、ナチスの手によって人々の目の前で焼却されるという事件が起こります。また1935年、ポーランドを訪れたシャガールは、ゲットーで暮らす人々の悲惨な現実や蔓延するユダヤ人狩りの実態を知り衝撃を受けます。そして1939年、シャガール自身も身の危険を感じ、フランスを離れる決意をし、危機一髪でマルセイユからニューヨーク行きの船に乗り込みます。このとき、シャガールが有名な画家であったためにアメリカの緊急援助委員会の援助の手が差し伸べられて、シャガール一家は船に乗ることが出来ました。けれども、もし彼らの助けがなければ、おそらくはシャガール一家は特別警察によって連行され、強制収容所に送られていたと思います。実際、シャガールとその一家は船に乗ることが出来ましたけれども、目の前の大勢の同胞たちは船に乗ることが出来なかったのです。シャガールはこの厳しい現実に直面し、理不尽な暴力とわが身の無力さを嘆き、悲しみました。

そんなシャガールが描いた「白い磔刑」という作品があります。手に剣や手榴弾を持った一団が平和なロシアの村に火を放っています。村の住民たちは船に乗って逃れようとし、胸にトーラーを抱いて逃げているユダヤ人の男性は、大声で何かを叫んでいるようです。その後ろではシナゴーグから火の手が上がり、上空ではユダヤの祖先たちが嘆き悲しみながら中を漂っています。そしてそんな画面の真ん中に、シャガールは十字架にかけられた白いキリストの姿を描きました。ユダヤ人としての伝統の中で生まれ育ち、また同時に「私はパリでもう一度生まれ変わりました」と語ったシャガールが、このキリストをどういう気持ちで描いたのか、はっきりしたことは分かりません。ユダヤ人としてのアイデンティティーを大切にした彼に対して「シャガールは精神的にはクリスチャンだったのではないか」というようなことを安易に言うべきではないとも思います。けれども、この白い光に照らし出されたキリストの姿は、単なるユダヤ民族の苦しみの象徴ということに留まることなく、そこからは確かに希望の光が放たれ輝いている、そんな風に私には見えます。そして優れた芸術作品は、作者の意図さえも超えて、それ自体が一人歩きして人々に語りかける、そして広く影響を及ぼすということがたちると、私は思います。お決まりの形式にのっとった形だけのキリスト教美術が力を失ってしまったような状況の中で、シャガールが描いた、この人々の苦難の真っ只中に立つ白い十字架は、今も私たちに語りかけてくるように思います。様々な苦難の中に生きる私たちに対して、「彼が担ったのはわたしたちの病彼が負ったのはわたしたちの痛みであった。ここに希望がある!」と、語りかけてくるように、私には思えるのです。

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