クリスチャンライフQ&A

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聖書の言葉

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

新約聖書 マタイによる福音書 5章14~16節

吉田謙によるメッセージ

私が担当させていただく時には、クリスチャンとして生きていこうとする時に生じる様々な疑問に対して、聖書の御言葉から教えられたいと願っています。

「あなたはそれでもクリスチャンなのですか」そう言われるのが怖くて、周りの人には内緒で教会に通っておられる方がいらっしゃいます。あるいは自分のような罪深い人間がクリスチャンであると世間に知れると、教会の看板に傷がつくので、私はそっとクリスチャンをしています、こう言われる方がいらっしゃいます。そういう方々は、きっと「私は到底、世の光にはなれない」「私の行いを見て、神様を信じる人間が現れるはずがない」そう思われることでしょう。しかし、本当にそうなのでしょうか。

そもそも私たちがイエス様を信じた時の一番大きな喜びとは何だったでしょうか。イエス様を信じた時の本当に大きな喜びは、私の今までの全ての失敗、全ての罪が赦されていた、この驚くべき恵みでありましょう。またイエス様を信じ続けて、私たちが繰り返し味わう恵みも、悔いてはまた犯す、この私の罪を、イエス様はその十字架の血潮によって全部洗い流して下さった、全部赦して下さった、この恵みであります。これに勝る大きな喜びは無い。私たちが人に知らせたいのは、「クリスチャンになれば清く、正しい生活が出来ますよ」ということが中心なのではありません。十字架の恵みによって、私の全部の罪が赦されている。もう一度、やり直すことが出来る。新しく生きることが出来る。これが私たちの喜びであります。そして、これが世の光となる道でもあるのです。どんなに大きな失敗をしたとしても、それで人生が終わりではありません。どんなに汚れた罪を犯したとしても、それで神様から見捨てられたわけではない。私を赦して下さるお方が天にはいらっしゃる。十字架に罪を背負って下さったお方が、私をなお、生かそうとしておられる。「あなたの罪は全部私が背負ったから、あなたは完全に赦されている。あなたは新しく生きるように。自分らしく輝いて生きるように。」こう招いて下さるのであります。私たちはそのことを味わっている者として、世の光なのです。

以前、ある先生からこういう話を聞きました。その先生は、牧師の家庭で育った方ですけれども、その先生がまだ高校3年生の時に、先生の父親が牧会していた教会で分裂騒動が起こったそうです。牧師家庭が教会を出るか、それとも教会員全員が教会を出るか、教会は大揺れに揺れたそうであります。幼い頃から可愛がってくれた教会員が、急に冷たくなった。厳しい言葉で両親を罵倒するようになっていった。そういう教会の混乱の中で、先生は深く傷つき、信仰に躓いてしまったそうです。けれども、その時に先生のご両親は、先生にこう言われたそうです。「私たちがこの問題をどう乗り越えるのか、よーく見ていなさい」と。それは、決して自信に満ち溢れた言葉ではありませんでした。自分たちの失敗と弱さと欠けを含めた、ありのままの姿を、子どもに包み隠さず見せようとする両親の精一杯の言葉であった、と言います。子どもに良い面だけを見せて、見せかけだけの信仰生活を営むのではなくて、先生のご両親は、失敗と弱さと破れを抱えたまんまの現実の姿を包み隠さず見せてくれたのであります。この両親の姿を見て、先生は信仰に踏みとどまることが出来た、と言います。何も完璧な親を演じ切る必要はありません。自分の持つ弱さや欠けや破れの中で、だからこそ、神様にのみ依り頼み、神様だけを信頼して生きていく。取り返しのつかないような大きな失敗をしたけれども、そのことを心から悔い改めて、罪の赦しをいただき、苦しみ、もきながらも、立ち上がっていく、そういうご両親の姿が、この先生にとって本当に大きな励ましになった、と言うのです。これは、あるがままの姿が世の光となった、よい例でありましょう。

今日は今年最後の日曜日です。この一年間の歩みを振り返る時に、それぞれに色んな失敗があったと思います。その一つ一つを思い起こす時に、本当に身がすくむような思いがします。もしかすると、この年末のぎりぎりになっても、「もっと、こうすべきであった」と心の整理がつかず、悔いを残していることがあるのかもしれません。けれども、人が赦してくれなくても、あるいは自分で自分が赦せなくても、イエス様はあなたのことを赦しておられます。私たちが本当に心の底からその罪を悔いているならば、それらは全部、イエス・キリストにあって赦されているのです。ですから、今、一年の罪を全部かなぐり捨てて、それらを全部、イエス・キリストの十字架によって赦していただき、心おきなく新しい年を迎えたいと思います。そうやって何度でも悔い改めて、「もう一度、新しく生きてみよう!」と新しい決心をもって、晴れ晴れと新しい年を歩み出す者こそが、世の光なのです。

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