飼い葉桶に寝かされたキリスト

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聖書の言葉

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

新約聖書 ルカによる福音書 2章6~7節

吉田謙によるメッセージ

ルカによる福音書のイエス様の誕生にまつわる物語を読みますと、とにかく天使が何度も何度も登場します。これでもか、これでもか、というほどに不思議なことが起こり、天使が現れ、その場面に賛美が響き渡ります。ところが、御子の誕生という、一番天使が現れて欲しい場面に、彼らは登場しません。ただ聖書は淡々と語ります。「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と。

またルカによる福音書の2章10節以下を見ますと、天使が羊飼いたちにこう語っています。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」

救い主であるしるしは何であったかと言いますと、それは何か目を見張るような、輝かしい出来事が起こったというわけではなかった。むしろ、何ら特別なことは起こっていないのです。不潔な場所で悲惨な仕方で産まれた赤ん坊が、こともあろうに家畜の餌入れである飼い葉桶の中に寝かされている。それが「しるし」なのだ、と言うのです。これは、この救い主が完全にこの暗い場面に溶け込んでいる、ということの現れでしょう。ここにクリスマスのメッセージが込められています。救い主は、この世界とは別の特別な存在なのではなくて、この世界のただ中にやって来られました。そして、その世界とは、貧しい夫婦が家畜小屋で子供を産まなければならないような悲惨な世界です。身重の妻を抱えた小さな家族に誰も思いやりを示すことが出来ない、泊まる場所がない、それほどまでに人々の心がすさんでいる世界です。そして、それはまた、全く罪のないお方が、不当な裁判によって十字架にかけられてしまうような世界であります。今も、世界のどこかで、同じようなことが起こっています。また、多かれ少なかれ、私たちはそのような世界を身近なところで経験していると思います。「何故こんなことが起こるのか」と叫ばざるを得ない、そういう経験を私たちは何度もするのです。しかし、救い主はそのような世界のただ中にお生まれになりました。そのことを、聖書は私たちにはっきりと告げています。これは言い換えるならば、神はこの世界を諦めておられない、見捨ててはおられない、ということでしょう。これがクリスマスのメッセージです。

このメッセージは、私たちにとって大きな意味を持っていると思います。何故ならば、私たちはしばしば、この世界を放り出してしまいたくなるからです。この不条理極まりない現実から逃げ出してしまいたくなるのです。そして、事実、多くの人々が様々な仕方で、そこから逃避しようと試みています。ある人は、日常の重荷をしばし忘れさせてくれる快楽に走ります。それがどれほど不道徳なことであっても、危険なことであってもかまわない。たとえそれが自分を傷つけることであっても、他人を傷つけ、苦しめることであってもかまわない。苦しい現実から、しばし逃れることさえ出来ればそれでいいと考える。これが多くの人たちの現実でありましょう。

また、しばしば逃避の道として求められるのが宗教的な陶酔や熱狂です。日常の世界とは別の世界を宗教に求めるのです。そこで人々はカルトに走ります。それがいかに危険なことであってもかまわない。要は現実の生活から逃れられればそれでよいのです。この世界での様々な困難な人間関係から逃れて、浮き世離れした者同志の心温まる交流があればそれでいいと考える。これは決して他人事ではありません。もしかすると、これは私たちの教会生活においても、同じことが言えるのかもしれない。勿論、教会は逃れ場です。神様は私たちの避け所であります。聖書も「神は私たちの避けどころ、私たちの砦、苦難の時、必ずそこにいまして助けて下さる」と何度も何度も語っています。神様が私たちの逃れ場である、避けどころである、このことがどれほどの慰めであるか、それを否定するわけではありません。けれども私たちは、この世から離れたところで浮世離れした生活をするのではないのです。神様に力をいただいて、また暗闇の世界へと出ていくのであります。

今、様々な不安がこの世界を覆っています。私たちの労苦と戦いは、これからも続くことでしょう。私たちは、人生の道のりにおいて、なお多くの涙を流さなければならない。けれども、もう私たちは別世界に逃れていく必要はありません。また刹那的な現実逃避を求める必要もない。何故ならば、この現実のただ中に、神の独り子イエス・キリストが来て下さったからです。その子は、確かに、理不尽なこの世界の中で、翻弄され、疲れ果てている男と女の傍らに寝かされています。

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」メリークリスマス!

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