救いのための神の熱心

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。

こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

新約聖書 マタイによる福音書 1章1節、17節

西田三郎によるメッセージ

教会では、クリスマスの四つ前の日曜日から、クリスマスを準備する期間に入ります。教会では、この期間を「待降節」と呼んでいます。今朝はクリスマスの二つ前の日曜日の朝で、「待降節第三主日」です。今朝も、キリストの誕生を心にとめながら、イエス・キリストの系図の意味についてお話しします。

マタイによる福音書1章1節には「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあります。2節から16節までにはイエス・キリストの家系に連なる41名の名前が並んでいます。17節はこれを整理して「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である。」とまとめました。

マタイがなにを資料としてこの系図を書いたかといいますと、主に旧約聖書を用いました。旧約聖書のあちこちに記録保存されているイエス・キリストの系図を用いてこの系図を書き上げました。マタイはこの系図を14代ずつ3組に分けています。第一組がアブラハムからダビデ王まで。第二組がダビデ王からユダヤの主だった人々がバビロンに移住させられるまで。第三組がバビロンよりの帰国からキリスト誕生までです。14代3組と、非常にわかりやすいのですが、よく調べてみますと、マタイがかなり意図的に系図を14代3組に分けたことがわかります。例えば、第二組では4名の王様の名前を省略して、14代にしました。第三組は14代ではなく、実際には13代しか書かれていません。最初の人をもう一度数えて十四代にしています。

マタイがこのように系図を意図的に14代3組に整理したことが分かると思います。マタイがこのように14代3組にこだわったは、ここにマタイのメッセージがあるからです。それは14という数字に意味があります。現在、私たちは7日ごとに一週というリズムで、時の流れを区切って、生きています。日曜祭日などは関係ないという職業がたくさんありますが、それでも多くの人は日曜日ごとに休みをとっています。土日連休というリズムも定着しつつあります。私たちが無意識に行っている、この7日ごと一週というリズムは、一般的にはあまり知られていませんが、これは聖書の宗教からきた習慣です。聖書では、7日が一巡りの時間であり、7という数は、完全を意味する象徴的な数字とされてきました。14はこの7の2倍で、まったく完全であるということです。マタイは神の恵みによって系図の3組それぞれが完結した期間であり、その最後にキリストが誕生したと言いたかったのです。それぞれの時期に対して神様の恵みは十分でありました。神様の歴史のご支配は完全であり、アブラハムの子孫であり、ダビデの子孫であるイエス・キリストの家系は、神様の守りの中にありました。

しかし、この系図には、神様の歴史の支配が決して平坦なものではなく、イエス・キリストの家系にも、人間の罪と歴史の浮き沈みがあることが語られています。次に、それらのことに目をとめたいと思います。

アブラハムからダビデ王までの第一組は、神の祝福に満たされた時期でした。アブラハムへの神の約束は、ダビデ王に与えられて、ダビデの子孫から神の子・救い主が出ると約束されます。この神の祝福の右肩あがりの線は、第二組、第三組では下降線をたどります。第二組では、ダビデの子孫である14代の王様たちの多くは、神さまに背く者でした。とても神の子が与えられるという状況ではもはやありませんでした。第三組になると、歴史の浮き沈みがダビデの子孫を襲います。バビロンから帰ったゼルバベルという人の名前は、旧約聖書に記録されていますが、それ以後、マタイが書いているダビデの家系の8名の名前は旧約聖書にはありません。ゼルバベルもバビロンから帰ってきたユダヤの総督でありましたが、突然歴史の舞台から姿を消しています。マタイは8名の名前をなにがしかの資料から拾い上げていますが、第三組500年という長さにしては8名は不自然です。もっと多くのダビデの直系の子孫がいたと思われます。それらの名前はもう知るすべはありません。

神様はアブラハムに祝福の約束と保証を与えられました。五百年後、その子孫であるダビデ王に、その王座をつぐ者の中から神の子・救い主を与えると約束なさいました。しかし、その約束にもかかわらず、ダビデの子孫は下降の一途をたどります。最後のヨセフなどは貧しい村の、名もない住民の一人でした。救いの約束も、救い主の約束もなくなったかのようでした。神様はそのどん底に達したこの状況の中から、イエス・キリストを生まれさせてくださいました。そこには私たちの救いのために働いてくださる神さまの熱心が示されています。イエス・キリストの系図には、人間の罪と歴史の浮き沈みをものともしないで、私たちの救いのために歴史を導かれる神の御業が示されています。今朝、わたしたちの人生の中にも、この神様の熱心が働いていることを知っていただきたいと願います。

関連する番組