人生の土台
こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。
新約聖書 テモテへの手紙一 6章19節
皆さんは、人生の土台を何の上に求めておられるでしょうか。あるいは、何かにつけて、立ち戻る初心というものをおもちでしょうか。おそらく、そのような土台や、初心と言えるものは、人生で直面するあらゆる機会の中で、絶えず思い起こされている大切な教訓であると思います。
今、お読みいたしましたテモテへの手紙は、新約聖書における一つの小さな手紙です。
この手紙を書いたパウロは、十字架の死から三日目に復活し、天に上げられたイエス・キリストから直接声をかけられて、回心した人物です。
このパウロは、この手紙の冒頭で、「わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように」(1章1,2節)と語りだします。
ここには、年老いたパウロと、若いテモテが、一つの絆で結ばれていることを認めることができます。それは、パウロをとらえたキリストが、テモテも幼い頃から導き、一つの信仰を与えておられるということです。そして、この神の独り子である、イエス・キリストを遣わされた神を「父」として覚え、「父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように」と祝福するのです。
キリスト教会の礼拝において、多くの場合、その最後に、祝祷もしくは祝福と呼ばれる祈りの時があります。それは、まことの神が、キリストにおいて、礼拝に集う者たちの上に、また、すべての人びとの上に、祝福が豊かにあるように祈るものです。
パウロは、自分のことを、思い起こしながら、キリストによって救われた恵みをこのように伝えます。
「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。『キリスト・イエスは、罪人(つみびと)を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(1章12~15節)と。
ここには、人間の側に求められるものは何もありません。あるのは、ただ、神の方からの憐れみであって、罪深いパウロへの深い同情です。この神の憐れみに対してお返しのできるものは何もないのです。また、キリストの救いを人間のどのような努力や功績によっても買い取ったり、補ったりすることもできないのです。ただ、人間は、自分が、神との関係を失っていた「罪」を認めて、キリストを信じることが求められているだけです。パウロは、かつての自分からすっかり変えられたことを伝えました。
そしてパウロは、「わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています」と伝え、「行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたい」と言います。また、「神の家とは、真理の柱であり土台であり生ける神の教会です」と教えるのです(3章14,15節)。
キリスト教会のシンボルと言えば、十字架であると多くの人に知られていると思います。それでは、キリスト教会の土台、すなわち、立っているところ、あるいは、どのような時にも揺らぐことのない希望は何でしょうか。それは、十字架につけられたキリストです。パウロが言う「真理の柱であり生ける神」とは、言い換えれば、キリストを真理として指し示されたまことの神ということです。なぜなら、神は、永遠の御子であり、独り子でいます、イエス・キリストにおいて、ご自身の真実を明らかにされたからです。
そして、パウロは、「わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです」(4章10節)と伝え、キリストにおいてまことの神に希望の土台を置くと繰り返します。
もし、キリスト教会の礼拝に行ってみたいけれども、礼拝では献金があるし、また、洗礼を受けて教会員になれば、献金を定期的にささげなくてはいけないと、二の足を踏んでおらえる方がおられるなら、まず、この教会の土台をよく知ってくださることをおすすめしたいと思います。
つまり、罪人の救いにとって、一円のお金も求められていないこと。ただ、キリストの憐れみにとって救われるという恵みの事実です。それではどうして、礼拝で、献金をささげるのでしょうか。それは、ただ、神への感謝から出てくるものです。心において感謝の思いがなければ、どのようなささいなことについても献金を正しくささげることはできないのです。
ほんとうの土台を知っているだけではむなしいことです。もしそれが、ほんとうにわたしたちを生かす土台であるなら、そこに立ち続けることにおいて、その土台はその力と真価を表わします。「真のいのち」であるキリストを得るために、たしかな未来に備えて良い土台を築き上げること、パウロがテモテに教会の礼拝に集う人々に命じる理由はここにあります。みなさんも、どうか、このたしかな人生の土台の上に、将来を据える堅実さを知ってくださればさいわいです。