その名を信じる人々
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
新約聖書 ヨハネによる福音書 1章12節
『ホテル・ルワンダ』という映画があります。これは、実際に起こった事件を背景にして作られた映画です。1994年、アフリカのルワンダでは100日間で100万人もの人々が殺されるという、残酷な人種虐殺が起こりました。その実際の出来事を映画化したのが『ホテル・ルワンダ』です。この映画の中で印象的な場面の一つは、身分証明書、つまりパスポートに関する場面です。内戦のような虐殺の現場で、多くの人々が命を落としていきます。
国際社会や外国軍の多くは撤退し、ルワンダの人々は事実上、見捨てられた状態でした。アメリカをはじめ、フランスやベルギーなどは、自国民を救出するために軍隊を派遣します。その時、アメリカやフランスなどの身分証明書、つまりパスポートを持つ者だけが、そこから救出されました。本当に痛ましい出来事でした。救出されるかどうかの基準は、パスポートにありました。つまり、市民権です。
今日の御言葉にも、このような市民権に関する話が出てきます。ヨハネの福音書1章の12節「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」ここでいう「神の子となる資格」とは、まさにパスポート、つまり市民権のようなものです。どこの市民権でしょうか?神の国の市民権です。
では、どのようにして神の国の市民権を得ることができるのでしょうか?それは、その名を信じることによってです。ここで「その名を信じる」とは、文脈から見ると、イエス・キリストが、命であり、真理であり、救い主であることを知り、その方を受け入れることを意味しています。そして、その人には「神の子となる資格」が与えられるのです。
では、「神の子となる資格」とは何でしょうか?新約聖書はギリシア語で書かれていますが、ここで資格という言葉は、ギリシャ語の原文には、身分に基づく権利や権威、そして身分に基づく法的な地位という意味を持っています。
たとえば、こういうことです。ほっそりとした小柄な女性の交通警察官がいるとします。
その女性警察官が、道路を走っている車に向かって「止まりなさい!」と手信号を出すと、すべての車が止まります。それは、運転手たちが、その女性警察官より力が強いから従うのでしょうか?そうではありません。「警察官」という権威があるからです。たとえ大きなトラックを運転する、筋肉質で力の強い男性運転手であったとしても、小柄な女性警察官が「止まりなさい」と命じれば、止まらなければなりません。そして、実際にすべての車は止まります。それは、「交通警察官」という身分に与えられた権威があるからです。
これが資格という言葉の意味です。このように、イエス・キリストの御名を信じる者には、神の子という身分に基づく地位と権威が与えられます。
それでは、神の子どもとなるとは、どのような意味なのでしょうか?まず、神の子どもとなるとは、「神のものが私のものになる」ということです。子どもは親の財産を受け継ぐ法的な相続人です。同じように、神の子どもとなるとは、神のものを受け継ぐ相続人となったことを意味します。言い換えれば、神のものが私たちのものになるということです。神の国は、神が統治される国であり、神のものです。その神のものである神の国が神の子どもである私たちのものとなったので、私たちは天国へ行くことができ、天国の市民権を持つ者となるのです。神の子どもになったということは、天国の市民権が与えられたということであり、永遠の命を得たということであり、救われたということです。つまり、救われて、神の国の市民権、すなわちパスポートが与えられたということです。
また、神の子どもとなることは、罪と罪の裁きから自由にされたことを意味します。神は、罪人である私たちを、イエス・キリストの十字架の血によって救い、ご自身の子としてくださいます。それは、養子として迎え入れてくださるということです。聖なる神は、罪人をそのままご自身の子どもとすることはおできになりません。キリストの十字架の血によって罪赦され、義と認められた者だけを、神はご自身の子とされるのです。ですから、神の子どもとなるということは、罪の赦しを受けた、ということが前提となっています。
はじめに『ホテル・ルワンダ』という映画の話をしました。しかし、ルワンダで起こった悲劇とは比べものにならない、まったく比較できないほど、大きな悲劇が、この世の終わりの日に起こります。聖書は、そのことをはっきりと語っています。その日、神の子となる資格、すなわち神の国の市民権を持つ者だけが救われます。その恐るべき罪の裁きから救われる唯一の道は、その名、イエス・キリストを信じることだけです。イエス・キリストを信じることによって、私たちすべてが、この神の子となる資格、神の国の市民権が与えれる、素晴らしい恵みにあずかる者となることを願います。