子とされる恵み
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
新約聖書 エフェソの信徒への手紙 1章4節-5節
おはようございます。西谷教会の山口耕平と申します。お読みをした聖書の言葉には、少し驚くようなことが書かれていましたね。そうです。それは、神さまが私たちを選び、神の子にしようと前もってお定めになったということです。しかもそれは私たちが生まれるよりもずっと前のこと。天地創造という、神さまがすべてのものをお創りになられる前からの定めであった。そう聖書は言うのです。今朝は少しその意味について、皆さんと一緒に考えたいのです。
まずその「神の子」という言葉について。この言葉は聖書の中でおもに三つの意味で用いられています。一つ目はすべての人間のことを「神の子」、そう呼ぶ場合です。聖書は神さまが私たち人間をご自分に似せてお造りになられた。そう記す書物です。それは私たち人間が、その神さまがよく造られた世界をそのみ旨に従って治めるためでもありました。ですから、神さまは私たちの産みの親であるとともに、少し大胆な言い方をしますと上司と部下の関係。そう申し上げることも出来ます。ですから少し今日言われていることとは少し違うことです。
二つ目は、イエス・キリストのことを「神の子」、そう呼ぶ場合です。聖書はイエス・キリストを神の独り子だと記す書物です。そして、ヨハネによる福音書の5章では、キリストご自身が、「聖書はわたしについて証しするものだ。」(ヨハネ5:39)そう、仰っています。これは御自身がまことの神であり、その御子である。そのことを証しするという意味のことです。ですからその意味での神の子とは、なにかキリスト以外の私たちに当てはまることはありません。
では三つ目の意味、お読みをした聖書のところはどうでしょう。この神の子とは、アドプト、つまり養子縁組を意味する言葉です。いわば神さまが上司、部下の関係から、私たちの里親となってくださるということで、キリストを信じる人たちに与えられる、神さまからの恵みとしての身分のことです。
ですからここでの神の子とは、なにか神さまのような存在になれるという意味ではありません。そうではなく、神さまは私たちをその独り子イエス・キリストがお持ちであった子としての身分。その本当の聖さを与えるべく選んでくださったということなのです。
今、ラジオを聞いて下さっている方も、人様に迷惑をかけず、正しく生きよう。生きたい。そう心がけておられる方が多くおられるでしょう。しかし今、その心のすみずみまでが聖いですか、そう問われれば、むしろそんな人なんてこの世にはいない。みんなどんぐりの背比べ。そうお答えになるかもしれません。
それはそのように私たちが正しさを求めつつも、ふとしたことで心が荒むこと。また特に神さまという聖いご存在を前にして、自らの決して聖いとは言えないところに気づかされるからです。そんなとき突然、神さまは、あなたに聖さを与えられるために選ばれた、などと突然私からこのラジオを通して言われても、恵みどころか、怪しさしか感じないのではないでしょうか。
ではそもそも、なぜ神さまはその選びをお定めになったのか。そのことを改めてお読みをした聖書の言葉に目を向けたいのです。それは神さまが、私たちを愛してくださったからだと、最初のところには記されていますね。選びとはそもそも神さまの、私たちへの愛のゆえだと聖書はいうのです。そしてその聖さも、また汚れのなさも成長、すなわち私たちがキリストへと向かう成長だということが、今朝お読みをした聖書のあとのほう、エフェソの信徒への手紙の4章のところに記されています。つまり神さまは、ただ、私たちをその愛ゆえに選ばれただけでなく、その親として責任をもってその成長までをも定めてくださっている。そう聖書は告げるのです。なんという驚きに満ちたみ言葉でしょうか。
そのようにして、私たちがキリストへと向かう成長ということ。そういえばお聞きのこの番組のタイトルも「キリストへの時間」でした。ですから、こうしてこの番組を聞いて下さることもその成長への一歩です。
そしてまた今日、日曜日は、私たちがキリストの教会へと集まる日でもあります。なぜ教会へと集まるのか。それはまさにお読みをした最後のところ「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みをわたしたちがたたえるため」そう書かれている通りのことです。
決して私ひとりで、ではなく、あなたを愛し、またその成長をこころから願ってくださっているその神さまをわたしたちでたたえるということ。それはつまりわたしたち教会とは、神の子であると共に、キリストを長男とする神の家族だということです。そして私たちがその家族として、一つとなって喜び、神をほめたたえること。そのことも私たちがキリストによって聖く、汚れのない者とされていくためには大切なことなのです。
このラジオをお聞きのあなたのことを神は愛しておられます。そして御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになられたのです。それはキリストによってあなたばかりか、わたしたちが一つの家族となるということを、神がその御心のままに前もってお定めになったことなのです。
ですからぜひこのあと、教会にもおいでください。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、ぜひわたしたちと一緒にほめたたえましょう。