神様はどのように働くのか(その1) 神様はどのように働くのか(その1)
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章28節
おはようございます。 神戸改革派神学校の金昭貞です。今日と来週は、「神様がどのように働かれるのか」ということを、ご一緒に考えてみたいと思います。もし神様がおられるのなら、なぜ私たちが期待するような形では働かれないのか。そして神様は、私たちの人生の中で実際にどのように働いておられるのか。そのことを考えていきたいと思います。
私たちは苦難に直面するとき、神様がまるでスーパーマンのように現れて、すべての問題をすぐに解決してくださることを願うときがあります。あるいは、そもそもそのような問題が起こらないように守ってくださることを期待することもあります。もしかすると、それが私たちの思い描く「神様の働き方」なのかもしれません。ですから、大きな手術を前にしていたり、子どものことで心が重くなっていたり、人生の大きな問題を前にしてどうしたらよいか分からなくなったりするとき、人はどこかに助けを求めたくなります。普段は特に信仰を持っていない人であっても、本当に苦しいときには、目に見えない何かに向かって、「どうか助けてください」と心の中で叫ぶことがあるのではないでしょうか。けれども現実は、いつも私たちの願う通りに進むわけではありません。心から願っても、物事が思うようにならないことがあります。そのようなとき、「本当に神様はおられるのだろうか」と思ったり、あるいは「自分が何か悪かったのではないか」と自分を責めたりすることもあります。
では、ここで聖書が語る神様のお働きについて見てみたいと思います。先ほどお読みした新約聖書のローマの信徒への手紙には、神様が「万事が益となるように共に働く」と記されています。この御言葉を聞くと、クリスチャンになればすべてのことが順調に進み、人生がすぐにバラ色になるかのように思ってしまうかもしれません。しかし、聖書が語るのは、そういうことではないのです。クリスチャンになっても、人生の中で苦しみに出会うことがあります。時には、以前より試練や挫折を経験することもあります。ただ、主イエスを信じる人は、その苦しみの受け止め方において、少し違う歩みへと導かれていきます。苦しみの中にあっても希望を失わず、感謝することへと導かれるからです。もちろん、それは決してたやすいことではありません。苦しみの意味が分からないときには、神様を恨みたくなることもありますし、落胆してしまうこともあります。それでも、その苦しみの中にも神様が働いておられたのだと知らされるとき、少しずつ感謝へと導かれていくのです。
なぜなら、神様が「万事を益としてくださる」と言われるとき、それは単に私たちの人生を、私たちの望む通りに整えてくださる、という意味ではないからです。聖書の語る「益」とは、私たちを神の御子、主イエス・キリストに似た者へと造り変えてくださることなのです。ですから、今朝お読みした御言葉に続く8章29節には、このように記されています。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようと、あらかじめ定められました。」そうです。「万事を益としてくださる」とは、結局、私たちが神の御子、主イエス・キリストに似た者へと変えられていく、ということです。そして神様は、多くの場合、苦しみや試練を通してこのことを実現していかれます。私たちが苦しみの中でつまずき、痛みを覚えるとき、私たちは少しずつ神の御子、主イエス・キリストに似た者へと変えられていきます。主イエスに似た者として、神を愛し、隣人を愛し、赦し、耐え忍び、柔和な者へと造り変えられていくのです。
そしてもう一つ、私たちが主イエス・キリストに似た者とされるうえで、決定的なことがあります。それは「復活」です。主イエスが復活の初穂となられ、死んで三日目によみがえられたように、主イエスを信じる者たちもまた、主イエスのように復活するのです。私たちは主イエス・キリストに似た者として、主イエスと同じように、死の後に復活の命へと導かれます。これが神様の働き方です。すなわち、「万事が益となる」ということなのです。神様は、今もあなたのために、すべてのことを益としてくださるように働いておられます。どうか神様のその御業を信頼して、歩み出してみませんか。