隣人愛による地域福祉の実践者

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聖書の言葉

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

新約聖書 マタイによる福音書 25章40節

高間満によるメッセージ

「キリストへの時間」をお聴きの皆様、おはようございます。今朝は、隣人愛による地域福祉の実践者であるトーマス・チャルマーズ(1780~1828)についてお話ししたいと思います。

チャルマーズは、1780年にスコットランドのアンストラーザーという小さな港町で毛織物業と海運業を営む裕福な家庭に生まれました。父親はスコットランド国教会(長老派)の敬虔な信徒で、その地域の町長をしていました。また母親は近隣の貧しい家庭を訪問したりして、隣人への援助を惜しまない人でした。

そのような家庭に育ったチャルマーズは、11歳でセント・アンドリュース大学に最年少で入学しました。そして卒業後、牧師になるためにセント・メアリーカレッジに進学しました。さらにカレッジ卒業後、スコットランド国教会の牧師としてキルメニーという教区に赴任しました。しかし一方で学者になることも考えていたため、礼拝説教に力が入らず、そのため牧師としてふさわしくないとの非難を周囲から浴びることになりました(市瀬2004:95‐100)。

そうした中でチャルマーズに肺結核という病魔が襲いかかりました。それは生死をさまようほどの重い病気でした。2年ばかりの療養生活においてチャルマーズは、自分のこれまでの歩みを深く振り返ることにより、信仰の大きな回心を体験することになりました。他方で健康も奇跡的に回復しました。

1811年に説教壇に復帰したチャルマーズは、以前とは別人のように力強く説教を語り、聴く人たちを感動させました。また説教だけでなくキルメニー教区内の家庭訪問を熱心に行うようになりました。そしてさまざまな生活問題を抱える教区の人たちに、個別に親身になって相談に応じました。こうした家庭訪問活動の積み重ねの中でチャルマーズは、地域の人たちが連帯意識を強め、相互に助け合うことの大切さに気づきました。そしてそのことが、地域の人たちそれぞれの自立と生活改善につながることを確信しました(市瀬2004:100‐103)。

1815年にチャルマーズは、キルメニー教区からグラスゴーのトロン教区に異動しました。このグラスゴーはスコットランド最大の都市でした。それまでのキルメニーとは異なり、産業革命の影響により、綿工業など多くの工場が乱立しているとともに、他方で貧しい人たちがあふれかえっていました。ここで最初にチャルマーズは、多くの児童が教育の機会を奪われ、無学のまま放置され、道徳的にも荒んでいることに心を痛め、これを解決するために寄付金を募り、日曜学校を1816年に復活させました。そして家庭訪問をつうじて教育の意義と必要性を説き、2年後の1818年には全地区に学校を設立させ、1200人を超える児童が学びの機会を得るようになりました(市瀬2004:108‐110)。

そしてこの頃、グラスゴーでセント・ジョン区が新設されました。チャルマーズは1819年にこの区に異動し、ここを隣人愛による地域福祉実践の格好の場としてとらえました。彼は教区を25地区に分割し、そうした地区に長老と執事をペアで配置しました。長老は福音伝道を担当しました。他方で執事は、さまざまな生活上の悩みを抱える貧しい人たちの隣人となりながら、その人たちの生活調査をまず行ったうえで、倹約の奨励、職業のあっせん、家庭内の保健衛生指導、飲酒癖等の悪い生活習慣に対する助言指導などを行いました。

このようなチャルマーズの地区割と家庭訪問を中心にした地域福祉実践は、後にロンドンやさらにアメリカで慈善組織協会として大きく発展しました。他方ではドイツのエルバーフェルト制度、さらに我が国での方面委員制度の発足に大きな影響を与えました。そして方面委員制度は現在の民生委員制度につながっています。さらにまた現在の生活保護制度のケースワーカーの仕事そのものにもつながっています。このように貧しい人たちの隣人となり、親身に個別的にその人にふさわしい援助を行ったチャルマーズの隣人愛をつうじた地域福祉実践は、スコットランドのグラスゴーでの小さな一歩から、今では欧米はもとより、はるか東洋の日本にまで大きな広がりをもたらし、現在の社会福祉の援助方法の源流として有効に生かされています。まさに神様の御心に添ったチャルマーズの活動は、後世になって神様からの大きな褒美として花開いたといえます。

今朝の聖書の御言葉の少し前のマタイによる福音書25章35~36節に「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、旅をしていていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」とあります。ここの御言葉にありますように日々の食べもの、住まい、着るもの、健康、心身の自由などに困難を抱えている人たちに、身近に相談に乗り、慰めや励ましとともに、その人たちに個別的な適切な援助を行うことは、それはとりもなおさず、王たる自分にしたことであると、神様ははっきり言っておられます。

イエス様は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という第一の掟とともに、これと同じように「隣人を自分のように愛しなさい」という第二の掟をわたしたちに示されました(マタイによる福音書22章37~39節)。わたしたちも隣人として、とくに身近に生活上の困難を抱えている人がおられましたら、親身に相談に乗りたいものです。それは神様の御心であり、そのことにより、わたしたちは世の光、地の塩として神様の栄光をあらわすことになるのです。

*引用・参考文献市瀬幸平「イギリス社会福祉運動史」(川島書店2004)

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