聖書を耕す

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聖書の言葉

あなたの仰せはわたしに命を得させるでしょう。苦しみの中でもそれに力づけられます。

旧約聖書 詩編 119編50節

赤石めぐみによるメッセージ

いよいよ今年の10月に、また新しい日本語訳聖書が出ます。新改訳2017という訳です。新共同訳聖書のほうの次の新しい訳は、2019年に出版予定だそうです。新しい日本語訳の聖書が出る、と聞いて、皆さんはどうお感じになりますか?

文学の方では、光文社古典新訳文庫が出始めて10年ほどになります。最初の頃、「名訳があるのに新しく出すの?」と私は少し反発していました。しかし、ちょっと回りくどかったりして、昔読んで挫折した作品をこのシリーズで読み直してみると、そういう意味だったのか!という実感が与えられたものがいろいろありました。今は、新しい訳で読み直すと新たな発見があったり、分かる実感がぐんと湧いてきたりするので、いいなと思っています。そういうわけで聖書の新しい訳にも期待しています。もっと多くの日本語話者の皆さんが、新しい訳の聖書を読んで「そういう意味だったのか!」という実感を得られるようになるのならこんなに嬉しいことはありません。

聖書は分厚くて、どこからどう読んだらいいのか、わかりにくいかもしれません。実は聖書は、自分に向けられた言葉、しかも、神さまからの自分への、受けとめきれないほど深く、激しく、狂おしいほどの愛の言葉の集成です。神さまの、自分へのどんな思いが書いてあるのかを探るつもりで読んでみると、きっと伝わってくるものがあります。こちらが恥ずかしくなってしまうほど深い愛を示してくださる神さま。あまりにも愛が激しすぎて、逆説的なことや、厳しい懲らしめの言葉をおっしゃることもある神さま。もうゆるしてはもらえないだろうと思うようなことをしてもまだ見捨てないで、けなげに愛し続ける神さま。孤独を感じるときにも「わたしはあなたと共にいる」と言ってくださる神さま。あなたは相手のそういう愛に気づいたとき、どうなさいますか?もしあなたに、その愛に応える気がなかったら、その言葉はあなたにはただ大げさでうざったいものでしかないでしょう。愛するが故に与えられる戒めも「なんであなたにそこまで言われなくちゃいけないの?」としか思えないでしょう。しかし、あなたの中に、神さまへの愛が芽生えたなら、聖書の言葉の一つ一つが慕わしく、優しさに満ちたものとして響くことでしょう。愛するがゆえに、繰り返し繰り返しその言葉を読み、味わい、もっと深く知りたい、と思うことでしょう。また、その教えや戒めは無視することのできない、従うべき言葉として聞くことができるようになるでしょう。わたしは日々聖書を読むとき、また毎週説教を聞くとき、神さまと相思相愛の歩みを積み重ねていくような、心ときめく時間を過ごしています。毎日愛する神さまの言葉と出会い直して、私の人生は導かれています。

冒頭でお読みした御言葉はまさにわたしのこの気持ちを表わしているものです。

「あなたの仰せはわたしに命を得させるでしょう。苦しみの中でもそれに力づけられます。」

新改訳聖書では「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」と訳されています。原文の高揚した感じ、また、わたしの気持ちに合致するのは、この新改訳のほうが近いです。今度の新しい訳では、どうなっていることでしょう。楽しみです。

数ヶ月前に聴きに行った講演会で、聖書の翻訳とは聖書を耕すこと、新しい翻訳を出すことは、聖書を耕し直すこと、読者が聖書の言葉と新たに出会い直すために必要なことだ、というお話がありました。昨年から畑を始めたので、このことの意味がよく分かりました。次の実りを生み出すためには、土を掘り返し、古い根や石を取り除き、堆肥や肥料や石灰を入れ、よくすいて耕さなくてはなりません。1年の内に何度もこの作業を繰り返し、そうして季節ごとにさまざまな作物の実りを得ていくのです。

聖書は一度限り読めばよい書物ではありません。一生をかけて読むものです。だから途中で何度も耕し直される必要があります。そして自分の人生の中で意味を持つ言葉として、折々に実りを収穫していきます。一度収穫して満足してしまって、耕さずに放置しておくこともできてしまいますが、聖書は耕せば耕すほど、私の人生にたくさんの実りをもたらしてくれます。聖書は本当に耕し甲斐があります。「ああ、その言葉なら知っている」「その話ならもう聞いた」。そう言って同じ畝で同じ実しか採ろうとしないなら、連作障害を起こして、健全な実りを得ることはできません。よく耕して、時を移さず次々と新しいものを植え付け、手をかけ、水をやれば、本当に豊かな実りを楽しむことができるのです。

聖書の新しい翻訳ができます。それを待つまでもなく、毎週日曜日の礼拝で、御言葉の説き明かしがなされています。聖書を耕す営みが教会によって続けられています。

あなたの宝を、聖書が耕されているところに植え付けに来てください。その宝の意味と価値を、神さまがもっと高めてくださることでしょう。あなたの悩みの種を、聖書が耕されているところに植え付けに来てください。神さまの解決の芽が出るのを、あなたは見ることができるでしょう。御言葉に従ってその芽を育てていくなら、あなたは重荷と引き換えに、あなたの糧となる実りを得ることができるでしょう。聖書を耕す営みを続けている教会にぜひいらしてください。あなたは聖書が耕されているところで、神さまに愛されていることを実感することができるでしょう。

聖書が耕されたところで、あなたも今日、新しく御言葉に出会えますように。

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