キリストは私たちのところに来てくださった

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聖書の言葉

イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

新約聖書 ルカによる福音書 7章12~13節

宮﨑契一によるメッセージ

今朝も聖書を通して、イエス・キリストのことをお伝えしたいと願っています。みなさんはキリストについて、どのようにお考えになることがあるでしょうか。おそらく、キリストは自分からはほど遠い人だ、立派な人ではあるかもしれないけど、自分とは関係ない、このように思われているのかもしれません。

ただ、聖書が語っているイエス・キリストというお方は、決してただの私たちから遠い人、私たちとは関係のない立派な人、なのではありません。確かに、立派であることに違いはないと思います。ただ、このキリストというお方は、紛れもなく私たちの現実に来てくださったお方、また私たちの現実に近づいて来てくださるお方なのです。

私たちは、生きていれば、様々な苦しみの中で生きるということがあります。毎日の生活の悩みがあります。また、病気になることもあります。そういう様々なことがある中で、キリストというお方は、そういう私たちのところに来てくださる、そして、そこで立ち止まってくださるお方なのです。立ち止まって、共に生きてくださいます。そして、一人一人の痛みを覚えられるのです。キリストは、一人一人と深い関わりを持とうとされています。

イエス・キリストこそ、私たちに近い方ですし、また私たちと共に生きてくださるお方です。キリストは、一人一人に神の救いをお与えになります。そして、悲しみの中にある人、苦しみの中にある人を、立ち上がらせることがおできになるお方なのです。

私は先日、伊丹市の博物館で開かれていた、ジョルジュ・ルオーという人の展覧会に行きました。ルオーという人は、19世紀から20世紀にかけてのフランスの画家です。彼は、いくつものキリストの顔や、キリストの姿を絵にしました。十字架のイエスキリストを描くことを通して、彼は人間の苦悩を見つめ続けた、というふうに言われています。ルオーは、第一次世界大戦と第二次世界大戦、これらの大きな戦争を経験した人でもありました。その中で、彼は人間の苦しみを担うイエス・キリストの姿を描いたのです。是非、一度ルオーの絵を見に行きたいと思ってその博物館に行きました。

その時に私が見た絵の中で、とても印象に残った絵が一つありました。それは、「『古びた町はずれにて』又は『台所』」というタイトルの付いた絵です。「古びた町外れにて」、又は「台所」というタイトル。その絵に描かれているのは、まさに、ある古びた町外れにある、家の台所です。台所には火が付いています。鍋には質素な食べ物が煮えています。壁には3本のフライパンが掛けられています。その家の奥の方には、どうもその家の人らしい人の姿も見られます。本当に古びた当時の台所が、その絵には描かれています。今の私たちの台所よりも、よっぽど古びていると言っても良い台所です。

そして、この当時の何気ない風景が描かれている中で、非常に私の印象に残った部分がありました。それが、この絵が一番主張したいことでもあります。それは、その台所にキリストが座っておられるのです。キリストがそこにおられる。

最初、この絵を見た時に驚きました。キリストがこんな台所のような場所にいる。それまで考えたこともありませんでした。その絵を見ると、台所で、キリストはまるで何かを考え込んでいるかのような顔をしています。ひょっとすると、キリストは煮えている鍋の音に聞き入っているのかもしれない、そういう絵の説明もありました。そうかもしれません。そのようにキリストが、静かな姿で、人々の毎日の現実である台所という場所に座っている、そういう絵でした。

最初見た時は、少しびっくりしたのですが、考えてみると、確かにキリストはそういう方なのかもしれない、と考えるようになりました。キリストはまさに、台所のようなところに、私たちの生活の現実の中に来られた方です。そして、そこに腰を降ろして、様々な貧しさや苦しみの中にある一人一人と共に生きてくださるのだと、その絵を見て思いました。台所は、私たちの日常生活そのものと言って良い場所です。そのような私たちの生活の現実、そこにもキリストがおられるという信仰がこの絵にあるように思いました。

最初に一か所の聖書個所をお読みしました。この個所にも、人生の現実の中に生きる一人の人が出てきます。一人息子を失った母親が出てくるのです。ここで一人息子を失った母親の悲しみはどれほどでしょうか。想像することもできません。ただ、イエス・キリストというお方は、やはりこの悲しみに暮れる母親のところに来られます。そして、御自分が共に痛みを覚えながら、またその悲しみを覚えながら、この母親の下に近づいて来られるのです。

そして、キリストは「もう泣かなくともよい」こう母親に言われました。キリストは一つの奇跡の働きをなさって、死んだ息子を生き返らせるという奇跡をなさいます。母親は神様を賛美するようになりました。ここでイエス・キリストは、悲しみに暮れる一人の人に近づいて来られて、救いを与えられました。そして、ただ悲しむことしかできない人に、神様を仰がせて、神を賛美するようにされたのです。

ラジオを聞いておられるあなたも、どうぞ、その日常生活の中に来られ近づかれるキリストを信じ受け入れていただきたいと願っています。そして、そのキリストが語られている教会に、どうぞ、行かれてみてください。

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