すべては恵みの呼吸

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聖書の言葉

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 10章13節

宮﨑契一によるメッセージ

先日NHKの「こころの時代」という番組で、カトリックの修道女をされていた渡辺和子さんのことが取り上げられていました。「シリーズ私の戦後70年」というテーマです。

渡辺さんの父親は、旧日本軍の要職にあった方でした。しかし、80年前の二・二六事件の時、同じ陸軍の青年将校の襲撃を受けて、銃殺をされます。渡辺さんはその時、同じ部屋にいて、父親が殺害されるのを目の当たりにしました。渡辺さんがまだ、9歳の時です。

この番組では、渡辺さんの父親を殺害した、その青年将校の弟の、安田さんという方も出てきます。この安田さんは、もちろん、実際に渡辺さんの父親を殺害した訳ではありません。けれども、兄と同じ家族として、この事件にずっと痛みを覚えてこられた、と言います。自分は80年前から、この事件のこと、兄のことを忘れることはなかった、そう言われていました。あれほど自分を可愛がってくれた兄が、なんでこういう事件を起こしたのか、彼らが信じた天皇とは一体何だったのか、そのことをずっと自分は引きずって生きてきた、そう言われるのです。

安田さんは、やがて、渡辺さんの父親のお墓参りをするようになりました。それには理由があります。それは、80年前の事件から50年目の兄の法要に、思い切って渡辺さんを招待した。すると、何と渡辺さんがそこに出席をされたというのです。

自分の父親を殺害した青年将校のお墓に行く、渡辺さんは最初、そのことを不思議に思います。けれども、渡辺さんはその青年将校のお墓に行って、お祈りをしました。その姿を見た安田さんは、その場所で涙を流した、と言われています。これでようやく、僕たちの二・二六が終わりました、安田さんはこの時そう言ったそうです。本当なら、自分たちの方が、渡辺さんの父親の墓に行くべきなのに、渡辺さんが先に兄たちの墓に来てくれた、こう言うのです。その中で、30年前から、安田さんも、渡辺さんの父の墓に行くようになりました。

私たちの人生は、改めて、複雑なものだということを思わされます。決して、何事も起こらない人生、単純な人生は、私たちにとって無いのだと思います。ある日突然、私たちにとって予想外のことが起こります。それは、たとえば、自分たちの家族を失う、ということであるかもしれない。ずっと、その生涯にわたって心に引きずるような出来事が起こります。私たちはそういうことを経験することもあるのだと思います。

渡辺和子さんは、教育者として、その生涯を献げられた方でした。渡辺さんはその中で、ある一つの詩に出会います。それは、河野進という牧師の書いた詩です。それは、このような詩でした。

天の父さま、

どんな不幸を吸っても

はくいきは

感謝でありますように

すべては恵みの

呼吸ですから

天の父さま、どんな不幸を吸っても/はくいきは/感謝でありますように/すべては恵みの/呼吸ですから。天の父さま、とは聖書の神のことです。渡辺先生は、自分の大学の学生たちによくこのように言われたそうです。あなたがたが、ここを卒業したら、その先にはいろいろな不幸があるのよ。その時に、それをぐっと吸いなさい。でも、吐くときは感謝にして吐き出す。その感謝までには時間が掛かるかもしれない、でも、神様はあなたに負わせることのできない重荷は決して負わせにならないから。苦しいこと、辛いことがあなたがたに降りかかった時には、そこを抜け出すことができる。そして、それは神様のお恵みだったということが分かる。渡辺さんは、このように学生たちに語って聞かせたそうです。

神様は、あなたに負わせることのできない重荷は決して負わせにならないから。この渡辺さんの言葉は、聖書の中に記されている言葉です。二・二六事件で渡辺さんの父親を殺害した青年将校の弟である、安田さんは、渡辺先生との出会いは、自分にとって至福の時だった、と言います。もし、私が逆の立場だったら、渡辺先生のように、自分の父親を殺した相手のお墓に行くことができるだろうか。むしろ、唾でも吹っかけて帰るのではないか、そう言われます。このように相手を受け入れることは、普通の人にはできないのではないか、こう言われるのです。渡辺さんは、このような安田さんとの出会いが与えられたことも、ありがたいこと、神様のお恵みだったと思います、そう語っておられました。

天の父さま、どんな不幸を吸っても/はくいきは/感謝でありますように/すべては恵みの/呼吸ですから。渡辺さんが、生かされてきた河野牧師の詩です。私たちは人生を生きていれば、不幸を吸う、ということ、不幸を味わうということがあります。しかし、それがいつになるかは分からないのですけれども、はくいきが感謝となるということ、すべてが恵みの呼吸であるということ。これは、渡辺さんが信じた聖書の神の恵みと言えるものです。

私たちは聖書の神を知る時に、たとえ人生の不幸を味わうことがあっても、その不幸の意味を知らされます。それが恵みであるということを知らされるのです。それは、聖書の神は、私たち人間を愛しておられる方だからです。聖書の神は、不幸の中に、あなたにとっての恵みを示しておられます。

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