死の幸い

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聖書の言葉

また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」

新約聖書 ヨハネの黙示録 14章13節

宮﨑契一によるメッセージ

私たちの人生の中にある一番の大きな問題、それは、死ということではないかと思います。家族や友人の死があります。そして、私たち自身も、やがて自分たちの死を迎えることになります。死と無関係の人は一人もいません。

最近は、孤独死ということも良く言われています。妻や夫には先立たれ、子供たちも離れたところで過ごしている。一人暮らしをする中で、どうも、最近その人の様子がおかしい、姿を見かけない、近所の人たちが気づいた時には死後数週間が経っていた、ということも珍しくありません。私たちの今生きる社会は、死の時に、自分の家族が近くにあるとは限りません。自分がたった一人で、死を迎える。それは、どれほど孤独で苦しいことかと思いますけれども、そのことが一つの現実としてあります。

私たちは、一人一人がどのような形で死を迎えることになるのか、そのことは誰にも分かりません。家族やまたそれ以外の人たちに看取られて死を迎える、ということであるかもしれませんし、たった一人で死を迎えることも考えられます。

ただ、死の間際に、どんなに心を許すことのできる家族や知り合いが近くにいたとしても、この死という問題、そのものを解決できるということはありません。どんなに親しい知人や家族であっても、この死ということを前には無力です。私たちは死に対しては諦めるしかありませんし、ただそのことに従うしかないのだと思います。

その中で、今日お読みした聖書の箇所には、死が幸いである、と言われています。死が幸い、どういうことなのでしょうか。せいぜい、自分の人生の苦しみが無くなるとか、やっかいな問題ももう無くなるとか、そういうことでしょうか。

聖書には、ただ死が幸いであると言われているのではありません。「主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と言われています。主に結ばれて死ぬ人は幸い、主とはイエス・キリストのことです。たとえ、私たちがどのような悲惨な死に方をすることになっても、唯一人、共にいてくださる方がある。死を打ち破る方がおられる。それがイエス・キリストです。この方に結ばれているなら、死もまた幸い、というのです。自分がイエスに結ばれている、ということに本当の安らぎがあるからです。

聖書は、このイエスに死の問題の解決があると教えています。それは、イエスが死から復活をした方だからです。この死に勝ったイエスは、私たちの死の時も共にいてくださる唯一の方です。そして、このイエスは御自分に結ばれている者を天国に迎え入れてくださり、一人一人をイエスと同じ復活の命に生きる者としてくださいます。

復活という出来事です。このことを信じることはなかなか難しいことかもしれません。私は小さな時から教会に通っていましたけれども、小学生の時に近所の友達と遊んでいた時に、なぜか、たまたまこのイエスの話になりました。イエスが死んだ、ということについてはみんな受け入れます。死ぬということはみんな分かる訳です。しかし、そのイエスが生き返った、この話になると、本当にみんなに笑われたことを覚えています。

復活ということ、誰も信じることのできないようなことです。それは、私の友達だけではありません。そもそも、イエスの復活を最初に知った、聖書の中に出てくるイエスの弟子たちや婦人たちがそうでした。彼らはみんな信じることができませんでした。信じられませんでした。

死を打ち破るということ、それをただ一人成し遂げたのが、イエス・キリストです。このイエスという方は、一番悲惨な死を遂げた方です。それは十字架の死でした。当時最も悲惨な刑罰です。また、この十字架に付けられたイエスは、他のどの人よりも孤独でした。十字架のイエスは誰からも理解されません。みんなから、あざけられ、ののしられ、唾を吐きかけられました。この方は最も惨めでした。私たちがこの人生で味わう試練や痛みや苦しみ、その全てをイエスは十字架で味わわれたのです。

そのイエスは、そのまま失意の死を遂げられたということではありません。惨めで、これ以上ない悲惨の死、その死から、本当に輝かしい仕方で復活をされ、イエスは天に上げられました。私たちにとって一番大きく最後の問題である死を、唯一乗り越えたのはイエス・キリストです。復活のイエスを信じて生きる時に、私たちはたとえ自分の死を前にしても、命の安らぎと平安の中にあります。主に結ばれて死ぬ人は幸い、なのです。

イエスを信じ、この方に自分が結ばれる、このことに私たち人間にとっての全ての幸せがあります。私たちがこの地上でたとえどんなに立派な財産を持っていたとしても、死んだ後も持って行ったり使ったりすることはできません。全ては、死に対して本当に無力です。しかし、このイエスという方は、私たちが生きる時も死ぬ時も、唯一人私たちと共にいてくださいます。そして、私たちに尽きることのない命の平安と喜びを与えてくださいます。

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