ケーテ・コルヴィッツの作品と生涯②

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聖書の言葉

そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」

新約聖書 マタイによる福音書 26章52節

吉田実によるメッセージ

今回は久しぶりに美術作品に関するお話をさせていただいています。20世紀ドイツを代表いたします女性の版画家であり彫刻家でもありますケーテ・コルヴィッツの作品と生涯についてのお話しの2回目です。

連作版画「織工の蜂起」や「農民戦争」によって特に「貧困」と「戦争」という厳しい現実とまっすぐに向かい合いながら、女性として、特に母親としてのまなざしでそれらの悲惨を見つめ続け、作品を通して訴え続けたケーテ・コルヴィッツですけれども、1914年の夏、第一次世界大戦が勃発しドイツ全体が「祖国防衛」の熱気に包まれて行く中、ケーテの長男のハンスに動員がかかり戦場に赴くことになります。そしてまだ18歳の二男のペーターまでもが志願兵となることを熱望し、そのための許可を両親に迫ったのです。父親のカールは猛反対いたします。そして母のケーテも、もちろん愛する息子を戦場になど行かせたくはありませんでした。けれども、ケーテの心の中には祖父や父がそれぞれの立ち場で自由のために勇敢に戦う姿が美しく刻みつけられていまして「祖国を守るためにこの身を捧げたい」という強い意志を持って両親に許可を迫るペーターの姿に、ケーテはある種のシンパシーを感じてしまうのです。「わたしも男の子だったら、同じことをしたかもしれない」。そしてついに、「ペーターの願いをかなえてあげて下さい」と夫のカールを説得してしまうのです。8月10日のことでした。そして、涙にくれながら愛するペーターを戦場に送り出してわずか二か月余りの10月30日に、一通の手紙が届きます。そこにはたった一行、「あなた方の御子息は戦死されました」と書かれていたのです。

志願兵になりたいと願うペーターを止めるどころか最後は後押しをしてしまったケーテは、激しい悲しみと罪責感にさいなまれ続けます。そしておよそ1ヶ月後、ケーテは彫刻作品の中にペーターの姿をとどめようと決心するのです。それは「彼の死を忘れないでほしい。そしてその死を褒めたたえてやりたい」という親心から生まれた特別な計画でした。横たわる兵士の頭側に父親を、足元に母親を置く。そしてその兵士の顔は、美しいペーターの顔でなければならない。そんな計画は、傷ついたケーテの心を慰め癒してくれるはずでした。ところが、この計画を具体的に進めるにつれ、ケーテは制作に行き詰ってしまいます。「祖国のために犠牲になった若者たちの死を褒めたたえてやりたい」という当初の制作の目標が本当に正しいのかどうか、ケーテ自身の確信が揺らいで行ったからです。

そして1919年、ケーテは5年近く取り組んできたこの像の制作を完全に放棄する決意をいたします。そして苦難の時代を経験してきた者の証しとして、連作木版画「戦争」を制作いたします。この「戦争」の制作を通して、ケーテ・コルヴィッツは戦没志願兵の母親としてのやり場のない苦しみと悲しみを乗り越えて、抑圧された人々と共に平和のために戦う芸術家へと変貌を遂げて行きます。そして、一度は放棄した戦没兵士のための記念碑としての彫刻制作を再開し、1929年10月についに完成させたのです。しかしそこに愛するペーターの姿はありませんでした。悲しみの中でひざまずいて祈る父と母の姿だけをケーテは刻みました。すなわち、ケーテ・コルヴィッツは祖国を愛して命を捧げた息子ペーターの「犠牲の死」の意味を、最終的には否定したのです。ペーターの像を造るとどうしても美しく造ってしまう。しかし未来ある若者たちがその尊い命を落としてゆく「戦争」は、その「犠牲の死」は、決して美化されてはならない。それが、母であり彫刻家であるケーテ・コルヴィッツが苦悩の末にたどり着いた結論でした。彼の死は無意味な死であったということをまっすぐに認めることが、本当の意味で彼の死を無駄にしないことなのだと、ケーテは悟ったのだと思います。

そしてその根底には、幼い頃から祖父が行う日曜学校で習った、主イエスの教えがあったに違いありません。このようにして苦悩の末に完成に至った彫刻作品「両親」は、今もベルギーのドイツ軍戦没兵士墓地に置かれています。わたしはその「父」と「母」の像の間の何もない空間から、戦争によって尊い息子の命を失った両親のうめきと共に、「同じ過ちが二度と繰り返されませんように」との切なる祈りの声が、聞こえて来るように思うのです。

ケーテ・コルヴィッツはその後、ナチス・ドイツに反対する署名をしたために「退廃芸術家」の烙印を押され、職を失い、アトリエも発表の場も失います。そして孫のペーターまでも、ロシア戦線で失うのです。それでも彼女は、「平和への願い」を込めた作品を作り続けました。彼女の最後の作品のタイトルは「種を粉に挽いてはならない」です。この言葉の意味を、今この国に生きている私たちも、しっかりと心に刻みたいと思うのです。

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