あなたの人生は空しいか

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聖書の言葉

人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。

旧約聖書 コヘレトの言葉 3章19~20節

宮﨑契一によるメッセージ

だいぶ季節も暑くなってきました。今年は雨の日が本当に多くありますけれども、その中で晴れた一日が与えられると、何か明るい気分になるような経験を今年何度かしました。

しかし、たとえ気持ちの良い一日があったとしても、私たちの心の中にはただ天気の良さだけでは済まされないような深い部分があります。先ほどお読みした聖書の中に、「すべては空しく」という言葉がありました。これの言葉を語っているのは、コヘレトという人です。少し変わった名前だと思います。このコヘレトという人は、空しい、という言葉を繰り返し語ります。彼は、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」これほど「空しい」という言葉を語るのです。

私たちはこういう言葉を聞くと、ではこの人は人生に何か足りないものでもあって、そのことで嘆いているのではないか、と思うかもしれません。例えば、自分にはこういう能力がない、お金がない、名誉がない、楽しみもない、何かそういう不足している部分があって、この人は嘆いているのではないかと考えるかもしれません。ただ、このコヘレトという人は、世の全てのものを持っていました。まず知識がありました。これは、他の誰も持っていないような深い知識です。私たちも羨ましいと思うような知識、これがこの人にはありました。

知識だけではありません。コヘレトには、豊かな富もありました。多くの畑や屋敷を、彼は持っていました。多くの男女の奴隷もそこにはいました。そして、多くの側女を抱えて、彼はあらゆるこの世の快楽をも経験した人でした。コヘレトは、目に望ましく映るもの全てを手に入れた、こういうふうに聖書に記されています。まるで、一国の王のような人でした。みなさんは、こういう人の姿を見てどう思うでしょうか。ひょっとすると、羨ましいという思いを持つ方もおられるかもしれません。そういうものが少しでも自分にあれば、自分は幸せに生きることができるのに、このようにも思うかもしれないのです。

この世の全てを手に入れたのですけれども、コヘレトは幸せではありませんでした。それら全ては結局彼にとって空しいものだったのです。聖書が語っているのは、私たちの人生は、単にお金があれば良い、自分の知識があれば良い、そういうものではないということです。私たちにとってもっと大切なものがある、そのことを聖書は伝えています。

ここでコヘレトが言っている「空しい」という言葉、人間の吐く息や、蒸気、という意味があります。息や蒸気、それははかないものです。私たちの人生、案外、こういう面があるのかもしれません。そして、この空しい、というところの行き着く先は、結局は人の人生は死で全て終わるではないか、というところにあるのだと思います。コヘレトは、結局は、人も動物と何も変わらない。人も死に、動物も死ぬ。人間も動物も同じではないか、全ては空しい、このように彼は言うのです。

空しさ、これは私たちが生きていれば、誰もが思うことです。これに向き合わない人はいません。たとえ人間が、どんなに自分の人生を築き上げたとしても、空しさはある、コヘレトはこのように考えます。しかし、神様は、空しさに向き合わされる私たち一人一人を十分に満たすものを、あなたのために与えてくださったと聖書は教えるのです。

神様が与えてくださったもの、それは、神の独り子であるイエス・キリストです。聖書ではこう言われています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。イエス・キリストを信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため、また十分に満たされるために、神はこの独り子をお与えになった、それほど世を愛されたというのです。

このイエス・キリストを信じる人生は、決して、空しさで終わるものではありません。溜め息で終わるような人生ではないのです。コヘレトは、地上のあらゆるものを手に入れました。でも、それはどれも、彼にとっては溜め息で終わるような空しいものでした。それらは、私たちを本当に生かすものではありません。それ以上に、神が私たちのためにお与えになったものがある。それが、地上のどのようなものよりも素晴らしい、神の独り子だと言うのです。神がお与えになったイエス・キリスト、このことを聖書は私たちに示しています。

このイエス・キリストというお方は、神様から私たちへのプレゼントなのです。これは、ラジオを聞いておられるあなたへのおくりものです。おくりものなのですから、あなたは、ただそれを受け取るだけで良いのです。それ以外のことは、何も必要ではありません。ラジオを聞いておられる中には、人には言えないいろいろな過去を背負っておられる方もいると思います。また、本当に今苦しい状況の中に置かれている人もいるでしょう。

でも、ただ手を差し出して、この救いを受け取るだけで良いのです。それ以外には何も求められてはいません。一人の人がキリストを信じるというところには、大きな神の喜びがあります。なぜなら、そのために、神はその独り子をお与えになったからです。それほどに、神は私たち一人一人を愛しておられます。

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