キリストのまなざしの中で①

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聖書の言葉

ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

新約聖書 使徒言行録 3章6~8節

吉田実によるメッセージ

今お読みいたしました聖書の箇所は、主イエスの弟子の一人であるペトロが、生まれながら足の不自由な男を癒すという奇跡を行った記事の一部です。これはただ「主イエスの弟子たちもこんなすごいことが出来たのですよ!」ということを告げる物語ではありません。主イエスの弟子たちは、かつて十字架につけられる主イエスを見捨てて逃げてしまった人たちです。ところが、そんな弟子たちのもとに死の力に打ち勝ちよみがえられた主イエスが現れて下さって、彼らの罪を赦して下さって、十字架の出来事の意味を教えて下さって、さらに天に昇られた後、御自身の霊である聖霊を送ってくださったのです。その聖霊に満たされて、弟子たちは主イエスと同じまなざしで人を見つめ、主イエスの十字架に表わされた神様の愛を証する人となったのです。そういう弟子たちを通して注がれた主イエスの愛のまなざしの中で、ずっとまともな人間扱いをしてもらえなかった、物乞いをするためにまるで物のように神殿の門のそばに置いてもらっていた男が、一人の人格ある人間として立ち上がることが出来た。そういう物語なのです。

私は最近テレビのドキュメンタリー番組で、犬に育てられた少女の衝撃的なドキュメントを見ました。昔狼に育てられた「アマラとカマラ」という姉妹がジャングルで発見されたという出来事がありましたけれども、そういうことではなくて、「オクサナ」というその少女は、現代のウクライナで育ったのです。その少女は、親が育児放棄をして愛されることなく育ちまして、施設に入れられたのですけれども、その施設でもだれにも愛してもらえず、誰にもかまってもらえなくて、唯一彼女に愛を示したのが犬だったのです。それで彼女は犬小屋で犬と暮らすようになってしまいまして、人間の言葉ではなく犬のように吠えて、四足で歩くようになってしまったのです。やがてそんな彼女のことが広く知られるようになりまして、専門家に引き取られ、ちゃんと愛を持って育てられて、今ではちゃんと人間の言葉をしゃべって生きていらっしゃいますのでよかったのですけれども、その犬のように吠えて四足で走る「オクサナ」の姿は衝撃的でした。もう犬そのものなのです。そしてその犬そのもののオクサナの姿が、かえって「人間とは何か」ということを顕著に物語っているように、私には思えたのです。つまり、愛してくれない人間よりも、愛してくれる犬のほうが良い。人間はそれほど愛を求めて生きているということです。人は最初から愛し合うように造られたからです。それがうまく行かないから、多くの人は悩んでいるのだと思います。

アメリカがベトナム戦争の泥沼にはまっていた時、ある兵士は毎日「殺せ、殺せ!」と敵を打ち殺す訓練を受けて、ベトナムに送り込まれました。「敵は人間ではない」と言うことを洗脳されて戦場に送り込まれるのです。ところが、その兵士がある防空壕に入りますと、そこでベトナム人の一人の少女が正に出産しようとしていたのです。その様子を見てその兵士は、思わずその出産を手伝ってしまったのです。手を差し伸べて新しい命を取り上げてしまった。そして自分でへその緒を切って、赤ちゃんを抱いてジャングルの奥に消えて行ったその少女の姿を見送った時の衝撃を、彼は後にこう語っています。「毎日殺すことを教えられていたが、新しい命については何も教えられていなかった。あの防空壕から出たとき、私は全く別の人間に生まれ変わっていた」。そして彼はこうも語っています。「死の体験ではなく、生の体験こそが、暴力ではなく平和を求める真の力になる」。アメリカの平和運動家、アレン・ネルソンさんの言葉です。

私たちは兵士のように「相手を人間と思うな、殺せ、殺せ!」などと言う洗脳を受けたことはありませんが、そこまで露骨ではないにしても、似たような方向性の言葉にいつの間にか支配されているということはあるのかもしれません。「他人と自分を比較しろ。そして競争に打ち勝て!ライバルを蹴落とせ!そうやって勝利を自分の手でつかめ!幸せを手に入れろ!でないと、負け組になってしまうぞ」。そんな声はいろんなところから聞こえてまいります。でも、それは悪魔のささやきなのです。私たちはそんな風に生きるために造られたのではないのです。人は競争したり争ったりするために生きているのではなくて、愛し合い・助け合い・共に生きるように最初から造られているのです。イエス・キリストは、この罪によってゆがんだ人間関係を正してくださって、創造された時のように互いに愛し合い・支え合い・共に生きる交わりを回復してくださって、さらに完成してくださる救い主なのです。そのためにご自身の命を捧げて下さった主イエスの愛のまなざしの中で、人は本当の意味で、人間らしく立ち上がることが出来るのです。

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