久米小百合さんとの対談:神へのラブソング

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聖書の言葉

新しい歌を主に向かってうたい

美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。

旧約聖書 詩編 33編3節

吉田実によるメッセージ

吉田:教会音楽家の久米小百合さんをゲストにお迎えして、お話をお伺いしたいと思います。久米さん、おはようございます。

久米:おはようございます。久米小百合です。よろしくお願いいたします。

吉田:久米小百合さんは現在、教会音楽家として活躍していらっしゃるわけですけれども、それ以前はラジオの前の皆様もご存じのとおり、シンガーソングライター「久保田早紀」としてご活躍をしていらっしゃいました。そんな「久保田早紀」さんが、教会音楽家「久米小百合」さんになられるまでには、きっといろんなことがあったに違いないと想像いたしますけれども、今日はそのあたりのことを少しお聞かせいただけますでしょうか。

久米:はい、わかりました。私とキリスト教の出会いは小学生の時に友達に誘われて日曜学校に通い始めたことから始まりました。始めはカードやおやつをもらったりするのが楽しみだったのですが、そのうちに教会で歌う讃美歌が大好きになりました。「主われをあいす」がお気に入りでした。でもその後、中学・高校・大学と全く教会とは関係の無い生活をしていたのです。そして好きな音楽で何かできないかなと思ってレコード会社のオーデションを受けたことがきっかけで、デビューすることになったのです。そしてデビュー曲の「異邦人」が思いがけずヒットしまして、初めての芸能界で、何もわからないまま忙しく日々を過ごす中で、「私の音楽のルーツってなんだろう。私の音楽のバックボーンって一体なんだろう」という問題意識が生まれてきまして、それはもしかすると子どもの頃に通っていたキリスト教会の讃美歌にあるのではないかと思って、再び教会に通い始めたのがクリスチャンになったきっかけなのです。

吉田:なるほど、そうでしたか。そのとき久しぶりに訪れた教会の印象はいかがでしたか?

久米:そうですね、小さな教会でしたが、すごくアットホームで、特に皆さんが喜んで賛美をしていらっしゃる姿がとても印象的でした。

吉田:同じ音楽でも、芸能界で派手なスポットライトを浴びながら歌う音楽と、教会の中で歌われ演奏される音楽とではずいぶん違ったものをお感じになったのでしょうか。

久米:はい。私はいつの間にか本当は大好きだった「音楽」が、「何枚売れたらいくら」というようなことで評価され、ヒット曲を書くように求められる中で、「音」が「楽」しい「音楽」ではなく、「音が苦」になってしまっていたように思います。そのような中で、楽しそうに喜んで賛美していらっしゃる教会の方々の姿に接し、音楽の本質を見せていただいたような気がしました。

吉田:その後ご結婚され、「久保田早紀」を引退され、教会音楽家の久米小百合さんになられたわけですけれども、今のような活動をお始めになるきっかけが何かありましたか。

久米:そうですね。私がクリスチャンだということで、引退をした後も時々「うちの教会でも歌ってよ」とお声をかけてくださる方々がいらっしゃいまして、時々教会でのコンサートや賛美のご奉仕をさせていただいていたのですけれども、レパートリーがほとんどなかったんですね。それで、今までは男女の間のラブソングをよく歌っていましたけれども、「神様へのラブソング」としての歌を歌ってもいいんじゃないかということに気付かされまして、教会音楽というものとちゃんと向き合おうと思ったのです。

吉田:なるほど、そのようにして今は、神様へのラブソングを歌い続けていらっしゃるわけですね。ありがとうございました。それではそんな久米小百合さんの最新アルバム「天使のパン」から、タイトル曲の「天使のパン」を聞いていただきたいと思いますけれども、久米さん最後にこの「天使のパン」という曲に込められた思いなど、少しご紹介いただけますでしょうか。

久米:はい。聖書の中には「パン」がよく出てきますけれども、いろんな意味での「パン」を意識して作りました。曲を作る直接のきっかけは、我が家の息子が小さかったころの一言一言をメモしていまして、それをもとに作りました。

吉田:なるほど、ありがとうございました。では久米小百合さんの「天使のパン」をお聞きください。

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