あなたを担う神

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聖書の言葉

あなたたちは生まれた時から負われ、

胎を出た時から担われてきた。

同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、

白髪になるまで、背負って行こう。

わたしはあなたたちを造った。

わたしが担い、背負い、救い出す。

旧約聖書 イザヤ書 46章3~4節

宮﨑契一によるメッセージ

春になって、温かい日が続いています。寒い冬から、温かい春を迎えると、いつもホッとするような思いがします。私自身もこの季節になると、昼間何気なく外に出ることも多くなっているように思います。

ただ、そういう明るい春の季節を迎えても、季節はいつであれ、私たちの現実の生活はいろいろな問題を抱えながらのものです。人生の難しさとか、悩ましいことのない生活は無いと思います。私たちが生きるということは、自分たちでも気がつかないような、いろいろな深い問題や課題を抱えながらのものです。自分だけでは生きていくことができない、そのような難しさを思わされることもあるのではないでしょうか。

私自身は、これまでの自分の人生を振り返る時に、30年ほどの短いものですが、それでも決して自分だけでは、ここまで生きることはできなかったと思わされます。私自身もいろいろな問題を抱える中で、家族をはじめ、本当にいろいろな人たちに助けられながらここまで来ました。それは、ラジオを聞いておられる皆さんもそうではないかと思います。そして、私が強く思わされていることは、何よりも聖書の神というお方が、本当に私自身をここまで助け導いてくださったということです。

今朝は、ご一緒にこの聖書の神を覚えたいと願っています。聖書には、神というお方は、人間が生まれた時から、老いる日まで、変わることなくその人を担い、背負い、救い出すお方だ、と書いてあります。

私たちは誰でも、生まれた時と年老いた時では、本当に大きな違い(変化)があります。まずは姿形が大きく変わるということがありますし、またそういう見た目のことでなくても、考え方が大きく変わるということもあります。年を積み重ねれば、体の衰えに向き合わされますし、また年を重ねるごとに、新しい問題・課題ということも出てきます。けれども、聖書の神というお方は、あなたが生まれた時から、老いて白髪になる時まで、この神は変わることなくあなたを担い、背負い、救い出す、と言われます。聖書には、いつも変わることなくあなたを担って救おうとされる神があります。

このことは、ただ一部の人に対してだけ言われていることではありません。何か特別に弱い人とか、担われることを必要とする人だけに、あなたを担い、背負い、救うと言われているのではないのです。これは、聖書が私たち全ての人間に対して、語り掛けていることです。私たち人間はどういう存在なのでしょうか。聖書が語ることは、私たちは、神様に担っていただかなくてはならない、神様に救い出していただかなくてはならない、そういう存在なのだと聖書は語っています。

自分には、そんな必要はない。それはいらない、そのように思われるかもしれません。けれども、神に担っていただく生涯というものは、本当に豊かなものです。私たちが心から喜ぶことのできるものです。この世の中で生きるということですから、そこには当然生活の苦しみや悩みということはあります。これが無くなるということではないのです。ただ、それがある中で、神があなたを担ってくださるということなのです。それは、本当に神を喜ぶこと、また感謝をして生きることが許されているものです。一時的な苦しみとか、悩みによっては潰されることのない、喜びと感謝があります。自分は救われた、という確信が与えられるものです。

イエス・キリストは、聖書の中で「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われました。毎日の生活の中で疲れ果てている人、抱えきれない重荷に背負っている人、だれでもわたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげよう、あなたは安らぎを得ることができる、とイエス・キリストは語っておられます。

聖書の神は、生きる中で疲れ果て、重荷を背負って呻いている私たち一人一人に、わたしのもとに来なさい、と言われます。わたしを呼び求めなさい、と言われます。わたしがあなたを最後まで担う、と言ってくださるのです。私たちが生まれた時も、白髪になった時も、変わることなく背負い、担ってくださいます。

私たちは、自分たちが生きていく中で、自分は何かに背負ってもらわなければいけない存在だ、何か救いのようなものを必要としている自分だ、そう思うことがあるのではないでしょうか。全く自分に何の問題も感じないままで、生きている人はいないと思います。むしろ、自分たちが熱心に真剣に生きれば生きるほど、自分自身の限界や足りなさ、また何かの助けを必要としている自分に向き合わされることがあると思うのです。

イエス・キリストは、私たちのために十字架にお掛かりくださった救い主です。キリストは、私たちの中にある汚れ、重荷、疲れ果てること、そういう私たちの全てをその身に背負って十字架にお掛かりくださいました。

私たちは、いろいろな問題を抱えながら生活をしています。信仰を持っていてもそうです。けれどもその中で、私たちは心から、十字架のキリストに信頼をして、生きることができます。苦しみの中でも、深い喜びに生きることができます。このラジオを聞いておられるあなたにも、このようなキリストへの招きがあります。どうぞ、お近くの教会においで下さい。

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