神と共に生きる人生

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聖書の言葉

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

旧約聖書 創世記 1章27節、2章7節

大野桂一によるメッセージ

クリスマスも終り、今年もいよいよ明日のみとなりました。暗いニュースが多い中で、オリンピックでのメダル奪取、ノーベル賞の受賞等、うれしいニュースもありましたが、皆様にとり、この一年はどんな年であったのでしょうか。

夢と希望に燃えている方、仕事に熱中している方がおられる反面、愛のない冷たい社会、経済主義と効率主義の歯車の中で、就職口は見つからず立ち往生されている方、人間関係に悩んでいる方、悲しみと喪失感の中にある方、事故や病気で、何故自分にこんな事が起こるのかと戸惑っている方、歳をとり体の衰えを感じて、不安の内に過された方など、それぞれ色々な思いで、この年を過されたことでしょう。

生き方は、千差万別であったと思いますが、どの方も日常生活の中で、殆ど自分のことばかりに集中して、生きてこられたのではないでしょうか。意識的ではなくとも、結果的に、自分が最優先される自己中心的であったのではないでしょうか。

そのような生き方は、自分と地上にある物や人との関係だけに生きることで、結局頼れるのは自分だけ、自分の命のある間だけのことであり、神のことを想わない、自分の力で生きる、神なしの生き方ではないでしょうか。

確かに、人類の歴史は、神なしでも、人間の力で発展し続けてきたように見えます。

特に20世紀は、科学技術が素晴らしく発展し、その結果、実証出来ることだけが真理であり、科学的に実証出来ないものは、不確かで信頼が置けないとの考えが広がりました。神は必要なく、人間は、何でも自分で出来ると考え、神は死んだと言いだす人も現れました。

神なしで、人間の理性、感情、倫理性等の教育を十分に行えば、人間の求める理想的な社会が実現できると考えた20世紀は、ノーベル賞を創設したノーベルが、スエズ運河開発の為に発明したダイナマイトは、第一次大戦では使われ、また、第二次大戦では原子爆弾が使われ、世界は言語を絶する程に悲惨なものとなりました。現在も、私たちは、人も自然も世界全体が吹き飛ぶような核の脅威や自然破壊にさらされ、特に日本では原発事故による放射線の脅威に怯えています。

なぜこのようになったのでしょうか。人間が神なしで自己中心に生きて来た結果ではないでしょうか。神を無視した人類は、罪と悲惨と死の世界に陥っているのです。

本来、人間はどのように生きるべきなのでしょうか。

聖書の最初にある創世記によると、神が天地宇宙すべてのものを無から創られました。山も海も植物も動物も、そして最後に人間を創られたとあります。

創世記1:27「神は御自分にかたどって人を創造された。」2:7「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」とあります。

人は、動物や鳥と同じ物質で造られ、肉的には動物と同じ共通性・限界を持つ者として創られました。しかし、人だけは、神が命の息を吹き込まれたのです。聖書の原語では、息も霊も一つの単語ですから、息を吹き込まれたとは、霊魂・魂を与えられたと言うことです。

人だけは霊的命を与えられ、霊なる神と交わる者、魂を持つ者として創造されたのです。神との交わりに生きるべき者として創造されたのです。

人は肉体においては大地と連なり、霊性においては神に連なる者なのです。そのように創られた人は、神の戒め、善悪の知識の木の実だけは決して食べるな、食べると死ぬと宣告されたにもかかわらず、サタンの誘惑、それを食べると、目が開け、神のように善悪を知る者となるとの誘惑に負け、食べてしまい、罪を犯したのです。そして神を避けるようになりました。

神との交わりが失われたのです。聖書で言う罪とは、神との交わりの無い、的外れの生き方が罪なのです。

そして人間は、神を無視し、自己を中心にする者となり、自分を神のように振る舞い、罪と悲惨と死の状態に陥ったのです。

そのように神との交わりを断たれた私たち人間を、神はなお愛して下さり、2000年前に、神の独り子であるイエスを真の人間としてこの世に遣わして、私たち総ての罪をこのイエスに担わせ、十字架につけ、私達人間の総ての罪を処分されました。この贖いの十字架を信じる者は、罪なき者とみなして、神と交わることが出来る道を、神は拓いてくださいました。

現実には私たちが生きている限り、尚様々な罪を犯しますが、イエス・キリストを信じる信仰の故に、神は、私達を罪なき者、正しい義人とみなして、神との交わりが出来るようにして下さいました。こうして、私たちは、この地上にあっても死後も、神と共に生きる事が出来るのです。

従って、キリスト者は、この世で悩み苦しみ等様々な試練にあっても、たとえ、死の床にあっても、神と共に生きる希望ある人生を送る事が出来るのです。

2013年を迎えるに当たり、これまで人生のすべてが「よし」と言えない人生であっても、どうか、神との交わりに生きる新しい命に生かされ、ご自分の人生を、希望を持って生き抜いて下さいますように、心から願います。

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