『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』~心からの笑顔~

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聖書の言葉

見よ、兄弟が共に座っている。

なんという恵み、なんという喜び。

旧約聖書 詩編 133編1節

吉田実によるメッセージ

今朝も先週に引き続き、高機能自閉症という障害がある東田直樹さんという青年が中学生の時にお書きになった『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』という本に書かれた文章をいくつかご紹介しながら、お話をさせていただきます。

文字を書いたりパソコンで打つという仕方で言葉を獲得された直樹さんが、自閉症という障害を持つ人々の独特な世界をQ&A形式で紹介して下さっている本なのですけれども、その中にこういう問いがあります。「走る競争をするのが嫌いなのですか」直樹さんは運動会でうまく走れないのですね。それに対する答えはこうです。「嫌いではないのですが、意識すると速く走れなくなってしまうのです。みんなで一緒に楽しく走るのなら、風と仲良くなることができ、僕はいくらでも走れます。意識すると早く走れなくなるのは、緊張するからではありません。速く走ることを意識すると、手や足をどう動かせば速く走れるのかということを考えてしまいます。考え始めたとたん、体の動きが止まってしまうのです。速く走れないもうひとつの理由は、人に勝つことの喜びがよく分からないことです。みんながそれぞれ自分の力を出し切ることは、とてもすばらしいと思います。それで順位が決まることは理解できますが、それと人に勝つということは、別のことのような気がするのです。だから、運動会などでは楽しい気持ちの方が先になり、僕はるんるん野原をスキップするように走ってしまうのです。」こう答えていらっしゃいます。そういえばうちの息子も小学校の運動会の時に、馬がギャロップするようにぴょんぴょん飛び跳ねながら笑顔で走っていたことを思い出します。親としましては「クラスの順位を落として迷惑をかけてしまうのではないか。」などと考えてハラハラしながら見ていたのですけれども、もっとおおらかな気持ちで一緒に楽しめばよかったと、今では思います。

また、こういう問いもあります。「表情が乏しいのはどうしてですか。」自閉症の人は自分の感情を表現するとか、相手の感情を読み取ることが苦手な人が多いのですね。それに対する答えはこうです。「みんなが僕たちと同じような考えではないからです。ずっと困っているのは、みんなが笑っている時に僕が笑えないことです。楽しいと思えることやおかしいことが、みんなとは違うのだと思うのです。人の批判をしたり、人を馬鹿にしたり、人を騙したりすることでは、僕たちは笑えないのです。僕たちは、美しい物を見たり、楽しかったことを思い出した時、心からの笑顔が出ます。でもそれは、みんなの見ていない時です。夜、布団の中で笑い出したり、誰もいない部屋の中で笑い転げたり、僕たちの表情は、周りを気にせず何も考えなくていい時に、自然と出てくるものなのです。」こういう答えです。そういえばうちの息子も、時々一人布団の上でけらけら笑っていることがあります。何も知らない方が見るとびっくりしたり、気味悪がられたりするかもしれませんけれども、彼らは私たちの想像以上に、美しく楽しい世界の中で生きているのかもしれません。健常者と呼ばれる私たちの方が、実はもしかすると、本当の美しさや楽しさを感じるアンテナを歪めてしまっているのかもしれない。そんなふうにも思うのです。例えばテレビの中ではたくさんの笑いに溢れていますけれども、誰かを馬鹿にしたり騙したりして笑うという笑いに、私たちも慣れてしまっているのかもしれません。勝ち負けにこだわる中で、一緒にスキップする喜びを忘れてしまっているのかもしれません。

このように東田直樹さんは書き言葉を獲得されて、ご自身が感じていらっしゃる世界を私たちに紹介してくださいましたけれども、私たちの身の回りにおられる、こういう仕方で気持ちを表現することができない障害者の方々も、心の中では同じようなことを感じていらっしゃるのではないかと私は思います。そして彼らの存在そのものが、私たちに向かって語りかけてくれているのではないかと思うのです。「みなさんが笑っている隣で、誰かが悲しんでいませんか?誰かをやっつけて勝つ喜びよりも、隣の人と一緒にルンルンスキップする喜びを、一緒に探しませんか。そしてこんな僕たちが同じ席に着くことを、皆さんは心から喜んでくださいますか。」たとえ言葉は出なくても、その存在そのものを通してこのように語りかけてくれる彼らは、時代の預言者ではないのか。この世界が造られた当初「極めて良かった」と言われた。この世界がそういう世界に回復され、完成されるための大切な道筋を指し示してくれる、「心からの笑顔」を取り戻すための、愛と平和の預言者なのではないかと、私は思います。

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