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吉田実によるメッセージ

皆様は、映画はお好きでしょうか。今回は、私が最近見た映画の中で、特に印象に残っている作品をご紹介しながら、お話をさせていただこうと願っています。今日ご紹介するのは、フィンランドの映画で、クラウス・ハロ監督の作品『ヤコブへの手紙』です。日本でも、2011年のはじめに公開されました。

舞台は1970年代のフィンランドの片田舎です。年老いた盲目のヤコブ牧師は引退牧師なのでしょうか。もう説教奉仕などはしていないのですけれども、ヤコブ牧師のところには祈って欲しい人たちからの相談の手紙が頻繁に届けられます。盲目のヤコブ牧師はお手伝いの人にそれらの手紙を読んでもらい、その返事を代筆してもらってひとりひとりに丁寧に送っていたのです。それがヤコブ牧師に与えられた最後の使命であり、また生きがいでもありました。

ところがそのお手伝いの人が養老院に入所した関係で、新しい働き手が必要となります。そんなヤコブ牧師のもとに来たのが、12年間服役した刑務所から恩赦で出てきたばかりの女性、レイラだったのです。身寄りのないレイラは仕方なくヤコブ牧師の家の家政婦として働き始めますが、ぶっきらぼうなレイラは、彼女を気遣うヤコブ牧師に一切心を開くことなく、手紙を読んだり書いたりすることも嫌々行い、手紙が多いときにはその一部を捨てたりもしてしました。

ところが、理由は分からないのですけれども、ある日パッタリとヤコブ牧師への手紙が届かなくなるのです。それまで相談の手紙に丁寧に答えて人々を励ますことに使命と生きがいを感じていたヤコブ牧師は、手紙が届かなくなってからどんどん元気を失ってゆきます。そして幻覚を見たのでしょうか、ありもしない結婚式の司式を行うと言って教会に出かけますが、いくら待っても誰もこないというような中で錯乱状態に陥ります。そして、今まで困っている人の相談に乗って力になっているつもりでいたけれども、手紙をもらって本当に力になってもらっていたのは自分の方だったと言って、ふさぎ込み、力を失ってゆくのです。

そんなヤコブ牧師の弱ってゆく姿を見ながら、レイラは少しずつ心を開くようになってゆきます。そして郵便屋さんを捕まえて「明日必ず手紙を届けろ!」と脅迫したりするのですけれども、郵便屋さんは「出されていない手紙を届けることはできない」と言います。当たり前です。ところが、そんな次の日、久しぶりに郵便屋さんの声が響いたのです。「ヤコブ牧師に手紙ですよ!」喜んで受け取りに行くレイラ。久しぶりに椅子に座って手紙を読んでもらう体制を整えるヤコブ牧師。ところが、その手紙はただの宣伝のためのダイレクトメールだったのです。

そこで、レイラはカタログのページを破って手紙の封を切るような音をさせながら、自分の過去を語り始めるのです。「親愛なるヤコブ牧師。私の父親は暴力を振るう父親でした。子どもの頃、そんな父の暴力から、姉がいつも私を守ってくれました。そしてそんな姉が結婚したとき、その夫も暴力を振るう男だったのです。ある日私が姉の家を訪れたとき、夫は姉を殴って殴って、殴り疲れたら休憩をして、また殴り始めたのです。そんな様子を見たとき、私は思わず台所に行ってナイフを取り出し、姉の夫の背中に突き立てました。こんな私は、赦されますか。」

ヤコブ牧師は尋ねます。「手紙の差出人の名前はありますか。」レイラは答えます。「はい。」「それは、レイラだね。神にできないことは何一つない。」そう言ってヤコブ牧師は、倉庫から分厚い手紙の束を持ってきます。それはレイラの姉からの手紙だったのです。「姉は自分の夫を殺した私を許してはくれない。」そう思っていたレイラでしたが、じつはレイラの姉がヤコブ牧師に何度も手紙を書いて相談をし、終身刑だったレイラに恩赦を与えてくれるように働きかけて欲しいと、願い続けていたのです。

そのようにしてレイラを真実な悔い改めへと導いたヤコブ牧師は、まもなく倒れて人生の旅路を終えます。人生最大の、最も大切な役目を果たすために、ヤコブ牧師は自分の生きがいであった手紙を失わなければならなかったのです。深く傷ついたレイラの心を開くためには、ヤコブ牧師も傷つかなければならなかったのです。

この映画を見ながら私は思いました。人は次第に歳を重ねてゆく中で、だんだんと自分はもう必要のない人間ではないかと悩むことがあります。でも、そうではない。必要のない人間など一人も居ないのです。次第に自由を失い、生きがいも奪われてゆくという変化と静かに戦うことは辛いことです。でも、そんなあなたを今日も生かしてくださっている神様の愛に気がつくときに、あなたにも始まる。そんなあなたにしかできない、とっても大切な、人生最大の大仕事が、あなたにも始まるのです。

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