神との交わりの回復

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聖書の言葉

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

新約聖書 ルカによる福音書 19章1~8節

大野桂一によるメッセージ

2000年前のイエス様の時代は、ローマ帝国がユダヤを支配しておりました。ローマは、ユダヤ人の中から徴税人を募集し、徴税人は請け負った税金額を徴収、納付すれば、あとは手数料をいくら取ろうが黙認されていました。

徴税人は悪らつな手段で税金を取立て、自分の懐を肥やしました。現在、法に基づき国のため、きちっと、税を徴収する税務署職員とは全く異なっていました。

当然、ユダヤ人たちは、敵ローマのために自分たちを脅し、不正な税金を取り立てる徴税人を憎んでいました。徴税人になる人は、親兄弟親戚から縁を切られ、ユダヤ人たちから最低の罪人であると見做されることを覚悟しなければなりません。

ザアカイはその徴税人の頭ですから、自分の利益のためには他人を押しのけ、食いものにする、神を恐れず、人を人とも思わない、エゴの塊の男であったことが分かります。

ザアカイは、何の得にもならないのに、イエスが家を捨て、病人や貧しい人のため尽くし、神の国の到来を説く、自分とは正反対な生き方をする人に興味を持ち、イエスを見てみようとしたのです。イエスに会いたいと思ったのではなく、イエスを見たいと思っただけでした。しかし、群衆に憎まれており、群衆に意識的に遮られ見ることが出来ず、木に登ったのです。

19:5~6イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りてきて、喜んでイエスを迎えた。」

ザアカイは、財産や地位を獲得し満足していたかもしれませんが、誰からも愛され信頼されることもなく、全くの孤独の中にありました。

そのザアカイに、イエス様の方から、「ザアカイ」と名を呼んでもらい、「家に泊る」と言ってもらったのです。イエス様の愛の言葉がザアカイの心を打ったのです。木から急いで降りてイエス様を迎えました。二人の間にどんな話があったのでしょうか。ザアカイは、イエス様を心より受け入れたのです。

8節ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家に訪れた。」

神を神とも思わず、ただ自分の得になることばかり追い求めたザアカイを、

イエス様が、尚愛し信頼して下さり、ザアカイは、神との交わりを回復され、人を物としてではなく、人として観る生き方に180度転換されたのです。

3月11日の大震災、テレビで見る惨状に胸が張り裂ける思いにされ、多くの人が、被災地の為に何かしたいとの思いを抱かれたのではないでしょうか。

震災後の、春の選抜高校野球の選手宣誓の抜粋ですが「人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。・・・生かされている命に感謝し全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」

この言葉は、多くの方に感動を与え、生きる力を与えたようです。

宣誓にあるように、本来、人は神に生かされている命に感謝し、身体も魂も総てをもって、愛をもって仲間を支え、仲間に支えられて生きる者なのです。

聖書によれば、人は動物と同じ物質で創られると共に、人だけは神の形に似せて創られ、霊性・霊魂を与えられたのです。霊なる神と交わり、他の人々とも愛をもって交わり、自然をも管理するように創造されたのです。

しかし、人は神の命令を犯し、神との交わりを絶たれ、自己中心的な者となり、他人を軽視し、自己を絶対化し、また科学万能主義におちいり、自己を神のように振る舞い始めたのです。

人は、理性では愛の必要な事は十分に分かりながらも、自分のエゴにより十分に愛することが出来ないのです。いかに理性を高め、道徳的・倫理的に生きようとしても、エゴの罪は無くなりません。そして本日のザアカイ程でないにしても、誰でも自分自身が可愛く、自分の得になることを求めます。

神と交わりがないと、自分中心の小さなザアカイとなるのです。

ザアカイが多くなると、社会から、はじき出される人が出てきます。昨年、NHKが日本における無縁社会の問題を大きく取りあげ、総ての縁から孤立し、遺骨の引き取り手のない無縁死が、年間32000件に及ぶと報道しました。

人のエゴの罪は、人の自力での解決はありません。自力で解決の無いことは、人類の歴史が証明しています。神と交わり、神の愛を頂き、その愛をもって隣人を愛し、自然とも謙虚に接することが求められているのです。

イエス様は、神と交わりを回復する為に、人の身代わりとして十字架に架かり、人の罪を処分して下さいました。この主イエスの十字架を信じる者は、罪は、既に処分済みですから、罪は無い者として、神との交わりが回復されるのです。人が、本来の人として愛に生き始めるのです。

今朝、神は、あなたを愛し信頼し、神との交わり入るように呼びかけておられるのです。

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