天の王よ、汝を迎えまつらん

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聖書の言葉

「主の名によってこられる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」

新約聖書 ルカによる福音書 19章38節

赤石めぐみによるメッセージ

この番組のオープニングとエンディングに使われている音楽が、誰の何という曲か、ご存じですか?この質問は、実は、番組のホームページから寄せられてきて、そのときに調べて、わたしも初めてこの音楽について知りました。

この曲は、バッハの教会カンタータ第182番《天の王よ、汝を迎えまつらん》という曲の第1曲、ソナタ ト長調です。このカンタータは、棕櫚の日曜日といって、イースターの1週間前の日曜日に演奏される曲で、イエスさまが、十字架につけられるためにエルサレムに入られたときのことを題材にしています。

棕櫚の日曜日というのは3月ごろですから、この曲については、そのときにお話しするのが、本当はふさわしいのですが、この曲の《天の王よ、汝を迎えまつらん》という題名に導かれて、「イエスさまを迎える」ということを、イエスさまの誕生をお祝いしたばかりの今の時期に考えてみてはどうか、と思って、今日はこのお話をすることにしました。

イエスさまは、生まれてまもなくの頃から、もう、殺されそうな目にあわれます。東の国から来た博士たちから、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?」という質問を受けて、自分の地位が脅かされると思ったヘロデ王が、イエスさまのお生まれになったベツレヘムという町の、2歳以下の男の子を皆殺すように、と命じたのです。イエスさまは、家族に連れられて、もうすでにそこを出ておられたので、そのときは殺されずにすみました。

大人になったイエスさまは、各地で聖書について教えたり、不思議な業をなさったりして、人々を救う働きをなさってから、都エルサレムに上ってこられました。イエスさまの働きのうわさを聞いたユダヤ教当局者たちは、イエスさまが、安息日を守らなかったり、罪人と食事をしたりするし、自分たちにあてつけるようなことを言ったりするので、非常に反発して、イエスを殺そうと考えていました。エルサレムはそういうユダヤ教当局者たちが大勢いるところです。イエスさまがエルサレムに上るということは、敵陣に乗り込むような行為でした。でもイエスさまは、そのエルサレムに、ろばに乗って入って行かれたのでした。そのときのことを音楽にしているのが、この番組のオープニングとエンディングで使われている曲なのです。

この曲は、『バッハ事典』によると、ヴァイオリンのソロとリコーダーが演奏している付点リズムの音楽が、ロバに乗って入場する「天の王(つまりイエスさま)」の歩みを描いているのだそうです。非常にゆっくりとしていて、穏やかに進んで行かれる様子が目に浮かびます。戦闘的ではなくて、平和な感じがします。エルサレムに入ってから、もうあと1週間ほどもたてば、イエスさまは十字架につけられてしまうことになるのですが、そんなことを目前に控えているとは思えないほどの穏やかさです。イエスさまは、この音楽に表されているとおりに、平和なお方なのです。

世界は、イエスさまを、お生まれになったときから憎み、殺そうとしました。人々と世界を救い、平和をもたらすために来てくださったのに、世は、はじめから、イエスさまを敵扱いしたのです。ロバに乗ってエルサレムに入られた時も、弟子たちは歓呼の声を上げて迎えましたが、エルサレムのほかの人たちは、実は、イエスさまをお迎えしませんでした。エルサレム中の人が、本当にイエスさまを歓迎していたのなら、イエスさまの十字架刑は阻止できたはずですが、刑は執行され、イエスさまは殺されたからです。

今日、最初にお読みした聖書の言葉は、イエスさまがエルサレムに入られる時に、弟子たちが歌った歌の歌詞です。「天には平和、いと高きところには栄光。」

あれ?とお思いになりませんか?

「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ福音書2章14節)イエスさまがお生まれになったとき、歌われていたのは、「地には平和」でした。エルサレムに入られる時には、「天には平和」になってしまったのです。地上でイエスさまは受け入れられなかったからです。地に平和をもたらすために来てくださったイエスさまを、拒否して、敵視して、あるいは一番多いのは、無関心かもしれません、とにかく、地上から追い返してしまったのです。

皆さんは、殺されそうになったことは、そうそう、ないかもしれませんが、でも、拒否されたり、敵視されたり、人から全く無視されてしまったり、という経験は、あるのではないでしょうか。そんなとき、どういう気持ちになるでしょうか。仕返ししてやりたい。思い知らせてやりたい。うんと、とっちめてやりたい。相手に対する、そういう攻撃的な気持ち。あるいは逆に、死んでしまいたい、と、自分に対して攻撃的になるかもしれません。

イエスさまという人は、殺されそうになるほど憎まれても、拒否されても、敵視されても、無視されても、相手に対しても、自分に対しても、攻撃的になることはありませんでした。

あの音楽のように、穏やかで、しかも、一歩一歩、前へ前へと進んでいかれる方でした。殺されそうになりながら、どうしたら、そういうふうに生きられるのか。イエスさまは、そんな人生の生き方を教えてくださったのです。聖書にそれが書いてあり、教会がその生きざまを証ししています。生きた心地のしない人生を送っておられるかもしれない皆さんに、ぜひ、このイエスさまの生き方を知っていただきたいと思います。

イエスさまはまた、この音楽のように、穏やかに、優しく、私たちにアプローチしてこられる方です。あなたの心の門は開いていますか?このイエスさまをどうぞ、あなたの心にお迎えして、新しい年をお迎えください。

♪エンディング音楽

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